柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

永続革命から世界同時革命へ

292 :考える名無しさん:2010/03/03(水) 04:14:06 0
>>283
それは、どんな革命的反乱も、たとえその目標がどんなに階級闘争からかけはなれているようにみえようとも、
革命的労働者階級が勝利するまでは、失敗するほかないということ、どんな社会改良も、
プロレタリア革命と封建的反革命とが一つの世界戦争で勝敗を決するまでは、ユートピアにとどまるということである。
賃労働と資本

293 :考える名無しさん:2010/03/03(水) 08:15:23 0
それではない
しかしマルクスは実際に「世界同時革命」という言葉を使ってるんだ
短い記事の中でだ
atのバックナンバーのどれかにそれの出典が示してあった

294 :考える名無しさん:2010/03/03(水) 08:54:11 0
エンゲルスの「共産主義の原理」で世界革命なら使ってるけどな


 永続革命はマルクスの用語だが
 (柄谷行人「革命と反復 第一章 永続革命の問題」at1号 2005年、参照)
 世界同時革命は日本のブントの用語らしい。
 社会主義学生同盟国際連合世界同時革命を起こす。


マルクス「中央委員会の同盟員への呼びかけ」一八五〇年三月

 ドイツの労働者は、かなりに長い革命的発展を完全に経過しつくさないうちは、支配権をにぎることもできず、彼らの階級利益をつらぬくこともできないが、こんどは、すくなくとも、この来たるべき革命劇の第一幕がフランスにおける彼ら自身の階級の直接の勝利と時を同じくして起こり、それによって大いにはやめられることを、確実に知っている。
 しかし、労働者が最後の勝利を得るためには、彼ら自身がいちばんに努力しなければならない。すなわち、自分の階級利益を明らかに理解し、できるだけはやく独自的な党的立場を占め、一瞬間といえども民主主義的小ブルジョアの偽善的な空文句にまよわされずに、プロレタリアートの党の独立の組織化をすすめなければならない。彼らの戦いの鬨の声はこうでなければならない――永続革命、と。


http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C0%A4%B3%A6%B3%D7%CC%BF
世界同時革命
しばしば誤解されるが、トロツキーはこの語は用いていない。
おそらくは全共闘の時代に作られた言葉であり、日本赤軍などが用いたことで知名度は高い。
単純には
ロシア革命は、一国だけでおこなったために、周囲の国や列強から弾圧され、歪んだ道すじをたどったという反省から、それぞれの国々で同時革命を起こすことで、本当の革命は実現できるとした考え方。
http://www.asahi-net.or.jp/~GR4T-YHR/zenkyoto_sa.htm
である。

http://web.archive.org/web/20010628223018/http://www.asahi-net.or.jp/~GR4T-YHR/zenkyoto_sa.htm
世界同時革命【せかいどうじかくめい】〔標語〕
社学同の政治スローガン。ロシア革命は、一国だけでおこなったために、周囲の国や列強から弾圧され、歪んだ道すじをたどったという反省から、それぞれの国々で同時革命を起こすことで、本当の革命は実現できるとした考え方。これにより、社学同の国際的なつながりが生まれ、たぶん後に「日本赤軍」がPFLPと連帯したり、あるいは共産同赤軍派による「日航よど号乗っ取り事件」などの行動の遠因になるのではなかろうか。

社学同【しゃがくどう】〔組織〕
社会主義学生同盟の略称。共産同(共産主義者同盟)の学生組織。通称BUND(ブント、俗な読みでは「ブンド」)。BUNDはドイツ語で同盟、連盟の意味。だが本来、ブントは社学同の上部組織である共産同の呼称であった。学生セクトの中で、たぶん最も大衆的なエネルギーを結集したセクトであろう。それだけにノンセクトラジカルなどの大衆的結集が衰退すると、途端に組織的にはがたがたになったものと思われる。70年以降は、ほとんど解体に近い状態になったようである。《参照→共産同、ブント》


関本洋司のブログ http://yojiseki.exblog.jp/10087927/


コジェーヴヘーゲル読解入門』(上妻精・今野雅方訳、国文社)

 「ポスト歴史の」日本の文明は「アメリカ的生活様式」とは正反対の道を進んだ。おそらく、日本にはもはや語の「ヨーロッパ的」或いは「歴史的」な意味での宗教も道徳も政治もないのであろう。だが、生のままのスノビズムがそこでは「自然的」或いは「動物的」な所与を否定する規律を創り出していた。


カント「一七九五年八月十三日 ニコロヴィウス宛て書簡」

 白色印刷紙に印刷して約五全紙になる位の論文が手もとにあり、この原稿は来週末までにお渡しできますが、もし貴殿がこれを来たるミカエル祭の市に間に合うように出版することができ、私に一全紙ごとに一〇ライヒスターラーの報酬を(各版ごとにこれと同一の報酬を支払うというこれまで通りの条件で)お払い下さるならば、前記の市のために出版図書目録のうちに次の題目をお加え下さい。
 永遠平和のために 哲学的草案、イマーヌエル・カント著
                                    I・カント

カント「一七九五年十月十五日 キーゼヴェッター宛て」

私の夢想曲(reveries)『永遠平和のために』を、貴殿はニコロヴィウスから受け取られることになります。もし学者たちが陰謀を企てたり、政治屋たちと結託したり、またホラティウスの言うところの「されば〔上身は美しき女人なれど下身は〕醜き魚尾に終る」振舞を彼らの媚びるような挙動によって示したりさえしなければ、彼らの間の不和など大して問題ではありません。


小倉志祥「解説」『カント全集 第十三巻』(理想社

第一確定箇条は国内法に関係し、あるべき国家体制は「共和的」であることを述べている。「共和政体とは執行権(統治)を立法権から分離する国家原理であり」、したがって既にモンテスキューの説くごとくであり、共和制においては立法権は「代表制度」を採って国民の意志に委ねなくてはならない。これによって戦争か平和かの決定は「国民の賛成」に求められることになるのであり、かかる政治だけが永遠平和へ到りうる道である。永遠平和のための第二確定箇条は「自由な諸国家の連盟」の建設を主張する。この連盟は「国際連盟」であって決して「国際国家」ではない。国際連盟が仮りにヨーロッパに基礎づけられるならば、ヨーロッパの平和は成立するかもしれないが、これは決して永遠平和ではない。


カント『人倫の形而上学』(一七九七年)序論のための準備草稿

生成しつつある共和政(Republik)はパンドーラの壺であり、その底に希望は動かずに留まっている。まことに共和政のみは戦争を憎むから、他の諸民族も永遠平和という善事に関与するために、それに連結しうるのである、……。共和政は道徳的体制である。……けだしこの体制は万人の意志という、すべての法(レヒト)の源泉から発しているからである。


カント『人倫の形而上学

 さて、われわれの内ある道徳的・実践的理性はその撤回すべからざる拒否権(ヴェトー)を発動していわく、いかなる戦争もあるべからず、と、……。それゆえ、永遠平和はありうることか否か、また、もしありうることと想定するならば、われわれはわれわれ自身の理論的判断において自己を欺瞞することになりはしないか、これはもはや問題ではなくして、おそらくありえないことがあたかもありうるかのように行為しなくてはならず、永遠平和の樹立と次のような憲政組織とに向かって、すなわち、永遠平和を招来するために、また従来すべての国家が例外なく内部的諸配備を主要目的として方向づけてきたところの度し難い戦争遂行を終結するために、われわれに最も適当であると思われる憲政組織(おそらく、すべての国家を一つ残らず統合する共和制度 Republicationism)に向って努力しなくてはならない。そして、この意図の完成に関しては、これはたとえ敬虔な願望にとどまるとしても、われわれはこれを目ざして不断に努力するという格率を想定することによって決して自己を欺瞞することにならない、けだし、この格率は義務であるからであり、これに反して、われわれ自身の内なる道徳法則を欺瞞的であると想定することは、むしろ一切の理性を無しで済まし、自己を自己の行為の諸原則に関して、残余の動物類と共に自然の一つの同じ機構(ein gleicher Mechanism der Natur)に投げ入れられているものと見なしたい、という嫌悪すべき願望を生ずることになるであろう。