柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

フランスの内乱

マルクス『フランスの内乱』(木下半治訳、岩波文庫

国際労働者協会総務委員会の戦争に関する宣言
――ヨーロッパおよび合衆国における国際労働者協会委員へ――

一八七〇年七月二十三日の第一宣言

一八七〇年九月九日の第二宣言

国際労働者協会総務委員会の宣言
――ヨーロッパおよび合衆国における全協会会員へ――


三(1)
しかし、労働者階級は単にでき合いの国家機関(2)を掌握して、それを自分自身の目的のために使用することはできない。

 (2) the ready-made state machinery. ここは問題になった有名な句で、「共産党宣言」序文註、レーニン「国家と革命」等が参照されねばならぬ。フランス版では単に「国家機関」としてある。
http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20100321

もし、それが資本主義制度にとって代わるべきであるとするならば、もし協同組合聯合会が共同計画(プラン)に従って全国的生産を調整し、こうしてこれを彼ら自身の統制下におき、そして資本主義生産の宿命である不断の無政府状態と周期的な痙攣〔恐慌〕とを終熄させるべきであるとするならば、――諸君よ、それが共産主義以外の――「不可能な」共産主義以外の何ものであったであろうか?

附註

ドイツ語版「内乱」第三版に対するエンゲルスの序文

エンゲルスの序文の若干の点について
                       シャルル・ロンゲ

附録 パリ・コミューン資料文書集
         (アメデ・デュノア編ならびに註)

アメデ・デュノア

プロローグ
陰謀の朝

第一篇 コミューンの意義
一 三月十八日の勝利
1. 人民へ
2. パリ国民軍兵士へ
二 中央委員会よりその中傷者へ
三 コミューン選挙の前
四 コミューンの成立
五 コミューンにとっては外国人はない
六 コミューンと所有権
1. 家賃に関する布告
2. 支払猶予に関する「法律」
3. 放棄工場の徴発
4. 公設質屋に関する布告
七 コミューンと労働者
1. 夜業と職業紹介所
2. 賃銀の擁護
3. 罰金の禁止
八 コミューンと教育
九 コミューンとその官吏
1. 搾取者的冗職はたくさんだ
2. 盗賊を殺せ
3. 兼職反対
一〇 コミューンと宗教
一一 コミューンと軍国主義
1. 徴兵の廃止
2. ヴァンドーム円柱の破壊
一二 コミューンと婦人
1. 婦人に対するアピール
2. 抗議
一三 コミューンと農民
1. 農民労働者へ
一四 コミューンの人道主義
1. ギロチンを焼け!
2. 「あらゆる貧乏人のためにパンを……」
一五 コミューンの綱領
フランス人民に対する宣言
一六 少数派の宣言
第二篇 市民戦
一七 ヴェルサイユ軍の攻撃
パリ国民軍へ
一八 人質
1. 宣言
2. 布告
一九 ヴェルサイユ軍の残虐
(五月十三日附「官報」)
二〇 ティエールの起訴
二一 「それは偉大な闘争である……」
二二 ブルジョアジー武装解除
二三 コミューンとその防衛省
1. 負傷者のために
2. 寡婦および遺児のために
二四 大都市に対するアピール
二五 パリの侵入
1. 市街戦
2. 武器をとれ!
3. 全員バリケードへ!
二六 ヴェルサイユの兵士たちへ
1. コミューンのアピール
2. 公安委員会のアピール
3. 中央委員会のアピール
エピローグ
1. パリの敗北
2. 勝者に呪いあれ
パリ・コミューン資料文書集補遺 訳者編〕
パリ・コミューンに関するカール・マルクスの演説
フリードリッヒ・エンゲルスからその母エンゲルス夫人へ
パリ・コミューン第十五週年記念日(一八八六年三月十八日)におけるエンゲルスの演説
F・エンゲルス――パリ・コミューン第二十一週年記念日のためのアピール草案の未発表断片


マルクスエンゲルス全集 第3巻』(大月書店)

マルクス エンゲルスドイツ・イデオロギー(二)」(真下信一訳)

共産主義は経験的にはただ支配的諸民族の仕事として「一挙的」そして同時に*のみ可能なのであり、そしてこのことは生産力の普遍的発展とそれにつながる世界的交通を前提とする(九)。

  * MEGAでは、「一挙に」または同時に、となっている。

(二) 『ドイツ・イデオロギー。最近のドイツ哲学――それの代表者フォイエルバッハ、B・バウアーおよびシュティルナーにおける――およびドイツ社会主義――そのさまざまなる予言者たちにおける――の批判』は、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによる著作であって、一八四五―四六年に書かれた。
 一八四五年の春、マルクスエンゲルスは共同してこの著作を書くことを決め、一八四五年九月に精力的にこの仕事にとりかかった。草稿は約五〇ボーゲンの嵩のもので、二巻から成り、第一巻は主として史的唯物論の根本テーゼの仕上げと、ルートヴィヒ・フォイエルバッハ、ブルーノ・バウアー、およびマックス・シュティルナーの哲学的見解にたいする批判をふくんでおり、第二巻のほうは、「真正」社会主義のさまざまな代表者たちの見解にたいする批判を内容とした。
 『ドイツ・イデオロギー』の仕事は、おもな点では一八四六年の夏に終わっていた。この時期に第一巻の大部分――すなわちブルーノ・バウアーとマックス・シュティルナーの見解にたいする批判にあてられた章(「ライプツィヒ宗教会議」)――ならびに第二巻の大部分が仕上がっていた。第一巻の第一部(ルートヴィヒ・フォイエルバッハの見解にたいする批判)については一八四六年の後半にもまだ仕事はつづいたが、それでも終わらなかった。
 一八四六年五月のはじめ、第一巻の原稿の主要部分がヨーゼフ・ヴァイデマイヤーあてでヴェストファーレンのシルデ書店に送られた。ヴァイデマイヤーは、出版を、そこの企業家――「真正」社会主義者ユーリウス・マイヤーおよびルドルフ・レンぺル――の資金援助をうける見込みがあったので準備するはずであった。第二巻の原稿の大部分がヴェストファーレンに届いたあとで、マイヤーとレンぺルは一八四六年七月一三日付マルクスあての手紙で、『ドイツ・イデオロギー』の出版に資金を出すことを拒絶した。一八四六―四七年にマルクスエンゲルスは、この著作の出版者を見つけようと幾度も試みた。だが、これらの骨おりは、警察側からのいろいろな障害により、また、マルクスエンゲルスの攻撃した当の諸流派の代表者たちに共感していた出版者たちの拒絶がつづいた結果、成功しないままに終わった。
 マルクスエンゲルスの存命中には、『ドイツ・イデオロギー』のただ一章だけ、しかも第二巻の第四章だけが、雑誌『ダス・ヴェストフェーリッシェ・ダンプボート』(一八四七年八月および九月)に公けにされた。
 『ドイツ・イデオロギー』の第一巻第二章の若干の個所は、雑誌『ゲゼルシャフツシュピーゲル』の第七冊(一八四六年一月号、「報知と覚え書」欄、六―八ページ)にのせられて「ブリュッセル、一一月二〇日」と記された匿名の覚え書と、内容上一致している。
 本書の書名と、第一巻および第二巻の表題は、手稿中には保存されていない。それらは、一八四七年四月九日号の『トリール新聞』にのせられたマルクスの、グリュン批判の覚え書にもとづいて挿入された。
 「フォイエルバッハ」の章における諸表題の確定と、原稿の配列順序とは、マルクスエンゲルスが手稿の欄外に記したことばにもとづいておこなわれた。
 「聖マックス」の章を二つの部分――「一 唯一者とその所有」および「二 弁明的注釈」――に分けることは、この章のはじめの著者の指示とこの章の全内容(手稿では「七 弁明的注釈」)にもとづいておこなわれた。
 『ドイツ・イデオロギー』の第二巻の第二章および第三章は、手稿中には現存していない。九―五三〇

(九) プロレタリア革命は、すすんだ資本主義諸国で同時に起こりうるだけであり、したがって、一国だけでこの革命の遂行に勝利することは不可能であろうという結論は、エンゲルスの書いた『共産主義の原理』(一八四七年)のなかで確定的に定式づけられた。それは独占前の資本主義の時期にとっては正しかった。
 新しい歴史的諸条件のもとで、ヴェ・イ・レーニンは、彼の発見した帝国主義の時代における資本主義の経済的および政治的発展の不均等の法則にもとづいて、社会主義革命の勝利は、はじめは少数の国々で、あるいはただ一国ですら可能であるとの結論に達し、これによって、すべての国々あるいは大多数の国々における革命の同時的勝利の不可能を強調した。
 この新しい結論は、はじめてヴェ・イ・レーニンによって、彼の論文『ヨーロッパ合衆国のスローガンについて』において定式化された〔国民文庫版『レーニン三巻選集』(3)を参照〕。三五