柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

国家と資本主義の消滅について

梶田裕「解説に代えて」
ジャック・ランシエール『感性的なもののパルタージュ』(法政大学出版局

かくして、マルクス主義はかつて国家の消滅を謳っていたのである。
もはや、国家や資本主義を消滅させることが問題なのではない。


【惰民党】攝津正Part2【総裁】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1269351048/


柄谷行人から左翼を除くと、田原総一朗湯浅誠
または東浩紀と区別がつかなくなるのではないか。


マルクス資本論』第三巻(岡崎次郎訳、大月書店)

第二〇章 商人資本に関する歴史的事実
 しかし、商人によって商品交換を媒介される諸生産部面の社会的な組織がどうであろうと、商人の財産はつねに貨幣財産として存在し、彼の貨幣はつねに資本として機能する。
貨幣、交換価値の独立的形態が出発点であり、交換価値の増殖が独立的目的である。ただ単に富のではなく、交換価値として一般的な社会的な形態にある富の単なる増殖手段としての、商品交換そのものと、それを媒介する諸操作――生産から切り離されて非生産者によって行なわれる諸操作。
商品資本の特徴的運動としてのこのG―W―G’が、商品資本を、使用価値の交換を究極目的とする生産者どうしのあいだの商品取引W―G―Wから区別するのである。
他方、およそ商人資本の発展は、生産にますます交換価値を目ざす性格を与えて生産物をますます商品に転化させるという方向に、作用する。


青木孝平「解説」廣松渉唯物史観と国家論』(講談社学術文庫

 さらに著者は、最晩年のレーニンはヨーロッパへの革命の発展可能性の消滅と戦間期における欧米の安定状況を踏まえ、永続革命論のシェーマを維持しつつも新たな先進国革命論を定礎しつつあったのではないかとみる。


ホッブスリヴァイアサン

こうして一つの人格へと統一された公衆 multitude がコモン‐ウェルス、つまり、ラテン語でいうキヴィタスである。