柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

集団生活、バンド、国家の起源

エンゲルスが国家の起源、マルクスが灌漑について述べている。
国家の起源を、ヘーゲルエンゲルスが支配―被支配の関係から説明するのに対し
柄谷行人は他の共同体(国家)との交換関係の発生から説明する。

しかし、ヘーゲルは『精神現象学』『法の哲学』ほかで
支配者(主人)―被支配者(奴隷)関係を
同時代のアジアに残る特徴として述べており
あらゆる国家の特徴として強調している訳ではない。

国家の消滅を語る事は国家の起源を語る事でもあった。


マルクス『賃労働と資本』

 人間は一定の様式で協働し活動を互いに交換しあうことによってのみ生産する。


E・R・サーヴィス『未開の社会組織』(松園万亀訳、弘文堂)

 集団生活であたえられる保護がきわめて重要なものだということは、現代の霊長類研究からはっきりいえる。

 状況にもよるが、核家族はバンドのテリトリー内をだいたい単独で食べ歩きしていたものと思われる。


山本耕一「協働・役割・国家」廣松渉唯物史観と国家論』(講談社学術文庫

 人類が太古より集住していたことは、人類学者たちの間でも通説として定着している如くである。しかし、彼らはこの集住を生産活動とはさしあたって無縁のものと考えているようである。サーヴィスは「集団生活」を「保護」と結びつける。

 これに対して、例えばバンド社会での狩猟・採集には「集団生活」はさしたる意味をもたないと考えられている。

 メイヤスーもまた、狩猟・採集経済を営む狩猟バンドにおいて、集団の「成員相互の安全を確保するために、より多くの人数の協力を必要とする」のに対して、狩猟・採集という活動そのものは、個人的(「小動物の狩猟またはわな」)でも集団的(「狩猟網」等)でもあり得る、と述べている(C・メイヤスー『家族的共同体の理論』川田順造・原田武彦訳、筑摩書房、一九七七年、三一ページ、二四ページおよび四二―四三ページ等も参照)。

 イロクォイ族が「世襲的酋長」、「普通酋長」、「軍事酋長」等の権威を有していたことはよく知られている(L・H・モルガン『古代社会』上巻、青山道夫訳、岩波文庫、一〇七ページ以下参照)。

 すなわち、先に瞥見した「国家権力のはじまり」に関するエンゲルスの記述によれば、被支配者の側からの支配に対する自発的服従は、支配の側の「社会的な職務活動」が、政治的支配あるいは国家権力の根拠をなす当のものであり、国家は、協働聯関の維持のための機能のうちに、その認証と正当化の基盤を有しているわけである。


マルクス資本論』(Bd.I.S.537)

 自然力を社会的に統御し、活用する必要、大規模な人工によってまずこれを取得し馴致する必要こそ、産業史においてもっとも決定的な役割を演じたのだ。たとえば、エジプトやロンバルディアやオランダなどにおける治水工事。あるいはインドやペルシアなどにおいて、人工運河による灌漑が土地に不可欠な水を供給しただけでなく、その泥水とともに鉱物性肥料を山から運んできたごときも、またそうである。アラビア人治下のイスパニアシチリアの産業繁栄の秘密も運河の開設であった。


激論クロスファイア http://twitter.com/search?q=%23gekiron
田原総一朗 http://twitter.com/namatahara


廣松渉唯物史観と国家論』(講談社学術文庫

 人々は、『二つの戦術』における右の定式のうちに、一八五〇年三月に打出されたマルクス・エンゲルスの「永続革命」論の意相が見事に再現していることを直ちに看取するであろう。〔マルクス・エンゲルスの永続革命論についての主題的な分析としては別著『新左翼運動の射程』第二章を参照されたい。――補註〕。事実、レーニンは同じ時期に書いた『農民運動に社会民主党の態度』のなかで、「われわれは民主主義革命から直ちに社会主義革命に移行しはじめる。しかも、われわれの実力に応じて自覚した組織されたプロレタリアートの実力に応じて移行しはじめるであろう。われわれは永続革命を支持する」と明言している。