衛星と革命
アーサー・C・クラークが『2010年宇宙の旅』で
ソ連の宇宙船・レオーノフ号を使うというストーリーにしたのは
アメリカが不況で宇宙船を出せないという理由だったか。
冷戦時代、ソ連が支配したという東欧諸国は衛星国と言われた。
衛星の衛は守るという意味であり、
satelliteは語尾のliteで岩を表すと思ったが
そうでもなく従者の事らしい。
えい【衛〔衞〕】
1 周りにいて中のものを守る。また、守る人。「衛生・衛兵/警衛・護衛・自衛・守衛・親衛・前衛・防衛・門衛」
2 周りをまわる。取り巻く。「衛星」
satellite [ラテン語satelles(従者)]
[〜lite]は,「石」に対するギリシャ語[lithos]からきている.
衛星が惑星を周回する公転はrevolution(革命と同じ)である。
1989年の東欧諸国の民主化は東欧革命というらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD
廣松渉『唯物史観と国家論』(講談社学術文庫)
ヘスの共同執筆を得て三名の共著となる予定であった『ドイツ・イデオロギー』のUrtext、エンゲルスの執筆した”下書”原稿その他によって、エンゲルスがいかなる社会観を構想するに至ったか、われわれは次の一歩を知ることができるが、これについては節をあらためて主題的に討究すべきであろう。
ヘスはビートルズやボウイでブレイク前に脱退した
幻のメンバーのようだ。
ルソー
……政府とは、臣民と主権者とのあいだに設けられ、相互の連絡にあたり、法の執行と市民的自由と政治的自由の維持を委託された中間団体なのである。
マルクス『資本論』第三巻(岡崎次郎訳、大月書店)
第二一章 利子生み資本
単なる商品、商品としての商品の場合には、買う人の手にも売る人の手にも同じ価値が留まっていて、それがただ形を変えているだけである。
単なる商品交換の場合には、貨幣はつねに買い手の側にある。
六〇 「貨幣または通貨の価値という言葉が、現に見られるように、商品と交換されるさいの価値と、資本として使用されるさいの価値との両方を表わすために無差別に使用されるならば、この言葉の曖昧さはいつでも混乱の源泉である。」(トゥック『通貨原理の研究』、七七ページ。〔玉野井訳、一三五ページ。〕)
このことからも明らかなように、プルードンがやっているように貨幣によって媒介される交換すなわち売買という単純な関係を直接にこの場合に適用しようとすることは、じつははじめからばかげたことなのである。
第二二章 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率
六七 「財貨生産が自然的に進行する場合には、利子率を――十分に開拓された諸国で――ある程度規制するに適していると思われる現象が、ただ一つだけある。それは、ヨーロッパの森林の樹木量がその年々の生長によってふえて行く割合である。この生長は、樹木の交換価値とはまったく無関係に」(樹木が自分の生長を自分の交換価値と無関係に調整するとは、なんというこっけいなことか!)「一〇〇にたいして三から四の割合で行なわれる。――これによれば」(すなわち、樹木の交換価値がどんなに樹木の生長に左右されようとも、樹木の生長は樹木の交換価値とはまったく無関係なのだから)「それ」(利子率)「が、最も豊かな国々での現在の水準よりも下がるということは、期待できないであろう。」(一二四、一二五ページ。)
たちあがれ日本 http://www.tachiagare.jp/
マルクス『資本論』第三巻(岡崎次郎訳、大月書店)
第二三章 利子と企業者利得
第二四章 利子生み資本の形態での資本関係の外面化
貨幣は、価値が――そしてここでは資本が――独立な交換価値として存在する形態である。
第二五章 信用と架空資本
第二六章 貨幣資本の蓄積 それが利子率に及ぼす影響
第二七章 資本主義的生産における信用の役割
第二八章 流通手段と資本 トゥックとフラートンとの見解
八九 「商人どうしのあいだの交換手段としては、貨幣は資本の移転が行なわれるための手段である。」(J・G・キニア『恐慌と通貨』、ロンドン、一八四七年。〔三、四ページ。〕)
マルクス、エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』(廣松渉編訳、河出書房新社)
彼は,狩人,漁夫または牧夫または批判的批判家,のどれかであって,〈彼の〉生活を失うまいと思えば,それでありつづけざるをえない.――これにひきかえ,共産主義社会では,各人は一つの排他的な活動範域をもたず,〈各〔範域〕を〉任意の各部門で自己形成をとげることができるのだが,共産主義社会においては社会が生産の全般を規制しており,まさしくそのゆえに可能になることなのだが,私は今日はこれを,明日はあれをし,朝は〈靴屋〈そして昼には〉午後には庭師,夕方には家畜を追い,そして食後には批判をする――狩師,漁夫,〈あるいは〉牧夫あるいは批判家〔という固定的な専門家〕になることなく、私の気のおもむくままにそうすることができるようになるのである.
上記は評判の良くない記述だという。
労働者は批判家に縁がないからだろうか。
エンゲルスは、マンチェスター在住のころから、経済学を批判的に学び(『国民経済学批判大綱』)、また、観念論的な発想にもとづいてではあったが、古代奴隷制、中世封建制、近世キリスト教国家、未来の共産主義社会という歴史の段階的把握の萌芽をみせており(『イギリスの状態』、第二、第三部)、帰国後は、もっぱら社会経済の機構から共産主義を権利づけようと図る。
ヘス
生〔生活=生命〕とは生産活動の交換である。
諸個人の生命活動の相互的交換、交通、諸個人の力の相互的興発、この協働こそが諸個人の現実的な本質である。
これを通時論的(ディアクロニック)に把えたものがいわゆる「歴史」であり、それを共時論的(サンクロニック)に把えることにおいていわゆる「社会」が形象化される。
マルクス・エンゲルスは、われわれのみるところ、こうして、ヘスにおいて既にほぼ同じ含意をもっていた「生産力」および「交通形態」という概念を改作的に継承することによって「生産力」「生産関係」という概念を確立したのであって、この経緯に鑑みても、生産という協働的対象的活動、この動力学的な総体をデュナミスというよりもポテンツの相で措定したものが「生産力」であり、当の協働聯関を共時論的(サンクロニック)な構造として把えるとき「生産関係」という概念が措定される。
浜崎あゆみ Rock'n'Roll Circus
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AKB48 神曲たち http://dl.rakuten.co.jp/prod/800685022.html