柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

1851〜1862年 ニューヨーク・トリビューン

マルクスはニューヨーク・トリビューンに記事を投稿していたが
南北戦争により辞める事になった。

南北戦争で使われた銃器は、幕末・維新期の日本に多く持ち込まれたという。


アダム・スミス

分業が確立されると、あらゆる人は交換によって生活するようになる。


廣松渉唯物史観と国家論』(講談社学術文庫

 下部構造=土台という概念は、さしあたり共時論的な構造概念である以上、マルクスが「生産諸関係の総体が社会の下部構造をなす」というのは蓋し当然であって――生産力をものとみなす人びとにとっては生産力が排除されているかのようにみえようとも、それのポテンツが生産力であるところの対象的活動の協働聯関が排除されているわけではなく――生産力としての生産力を下部構造の構成要素とみなすのは視角の没論理的な交錯であると言わねばならない。
 人間存在の汎通的・基底的な在り方、すなわち、生産という協働的対象的活動の有機的な函数的・機能的聯関、これを共時論的に概念化したものが生産諸関係の総体であり、マルクスによれば、このようなものとしての生産諸関係の総体が「社会の経済構造」「実在的な土台」をなし、これを基盤にして「上部構造」が存立する。

 人間は、原始状態においては、群をなして、食糧の得られそうなところに自由に遊動していた。しかし、自然的生存条件および分業に規定されて、やがて、人びとの生活は斉一ではなくなった。狩猟生活群、漁撈生活群とならんで、耕作や牧羊を営む小社会が生じた。狩猟生活群は、農耕者や牧羊者の所有物に誘引されて、彼らを襲い、彼らを征服し、彼らに隷従を強いた。こうして政治的社会(すなわち国家)が発生した。

それは「自己の勤労や土地の収穫によって自己をやしなう」者ども、つまり、自発的な創意と活動によって自立的に生計を営みつつ、”等価交換”を通じて社会的対人交渉聯関に入る平等な人格! これである。

また、エンゲルスも『反デューリング』のなかで、「大規模商業は……自由な商品所有者たち、つまり、商品所有者として平等な資格、平等な権利をもって……経済外的な強制をうけることなく……交換をおこなう人びとを必要とすること」、さらには「手工業からマニファクチュアへの移行は、自分の労働力の”賃貸”に関して、契約当事者として平等な権利をもって工場主と取引する自由な労働者の存在を前提する」ことを指摘し、人間の自由・平等という観念のイデオロギー的基礎を論じている。


マルクス資本論』第三巻(岡崎次郎訳、大月書店)
第三九章 差額地代の第一形態(差額地代 I)
同じ種類の諸製品の市場価格は同じだということは、資本主義的生産様式の基礎の上で、また一般に個々人のあいだの商品交換にもとづく生産の基礎の上で、価値の社会的な性格が貫かれる仕方である。
たとえばミシガン州のような地方の全人口は最初はほとんどただ農業だけに従事しており、またことに、工業製品や熱帯生産物と交換できる唯一のものである農業大量生産物の生産に従事している。


布袋寅泰は91〜92年のライブ終了後、
「風の共に去りぬ」のテーマを流していた。
僕はそのツアーで
群馬、宇都宮、静岡、
クラブチッタ、ロンドン、倉敷、名古屋、京都、
武道館4回などの公演を観た。
ロンドンでは上記は流していなかったかもしれない。

GUITARHYTHM active tour’91-’92


ほぼ収録会場全てにいます。
CDのジャケットはクラブチッタ
ロンドンライブで僕のオデコが映ってます。

スリル
http://www.youtube.com/watch?v=kFK8sP3-0SA&feature=related

BE MY BABY
http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/548294e07df9210948967f956684a49a?p=%E5%B8%83%E8%A2%8B%E5%AF%85%E6%B3%B0&fr=top_ga1_sa&tt=c&ei=UTF-8&from=srp&rkf=1&r=4
ボウイの氷室京介、COMPLEXの吉川晃司・作詞という
クレジットがやや疑わしく思えてくる。

ROCKET DIVE
http://www.youtube.com/watch?v=zQOV6mMqhMo&feature=related
ボーカルだけではなくギターの布袋アレンジに改めて気付く。