それ以後の歴史
ハンス=ゲオルグ・ガダマー『科学の時代における理性』
(本間謙二・座小田豊訳、法政大学出版局)
周知のように、ヘーゲルは、定立−反定立−綜合という弁証法的な三段階の歩みを、世界史に即して次のように展開していた。すなわち、彼は世界史を自由の進歩と解釈し、こう述べていたのである。東洋においてはひとりの人が自由で、そのほかの人はみな自由ではなく、ギリシアにおいては都市の本来の市民だけが自由であるのに対して、そのほかの人々は奴隷であったが、最後に、キリスト教と近代の歴史とを通じて、とりわけ、第三身分〔市民階級〕の解放と農民の解放とによって、万人が自由であるところにまで到達した、というのである。これによって、歴史の終わりが現われなかっただろうか。万人の自由が実現した後にもなお、ヘーゲルの眼差しのなかには、歴史が存在しうるのだろうか。存在しえているとすれば、それ以後の歴史とは一体何なのだろうか。実際のところ、それ以後は、歴史は新たな原理の上に基礎づけられることはできない。自由の原理は、不可侵かつ撤回不可能なものである。人間の不自由を今なお肯定することは、誰にとってももはや不可能なのである。それゆえ、〈万人が自由である〉という原理を再び揺るがすことはできない。しかし、それで歴史は終わった、ということになるのだろうか。一体、すべての人間が自由だろうか。そもそも、人々は実際に自由なのだろうか。それ以来、歴史とはまさに、〈人間の歴史的な行為は自由の原理を現実のうちに移し換えなければならない〉ということではないのだろうか。してみれば、まさしく、世界史に、将来の課題に向かって開かれた無限の進行が指示されたのであって、例えば、〈根本においてすべては整然としている〉という鎮静的な保証が与えられたのではない、ということは明らかなのである。
もちろん、フィヒテがこれによって考えているのは、精神的な構成のことであって、十九世紀の哲学の底辺に徘徊している独我論という馬鹿げた概念とは何の関係もない。
中沢新一・東浩紀・白井聡「日本的想像力と成熟」思想地図vol.4
東 彼(村上春樹)の問題もまた今号で取り上げているのですが、最新作の『1Q84』(新潮社)では『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)の深みが脱落してしまったように見える。
東 そもそも等価交換や貨幣は成立していない。そういうふうに見えること自体が、柄谷行人の言葉で言えば遠近法的倒錯である。しかしながら、そういう倒錯が生じる必然性はあるので、倒錯を倒錯と指摘してもしかたない。そうしたときに、実効的な批判というのは、つまり等価交換のネットワークの中で漏れ落ちるものがポロポロあるのだから、等価交換の世界に寄り添いながらそういうのを拾いあげる作業になるのではないか、というのが僕の考えです。それを「郵便的な思考」と呼びました。
ハンス=ゲオルグ・ガダマー『芸術の真理 文学と哲学の対話』
(三浦國泰訳、法政大学出版局)
結社の生活から別れる苦悩や遍歴時代の試練として奥義に通じたものたちに課される形式そのものが籤引きになっている。
「どんな翻訳も裏切りのようなものである(Traduttore-traditore)」というベネデット・クローチェの有名な言葉がある。
決定不可能であるから、くじ引きが導入されるのか。
NAMにおいてもゲーデル問題の考察が継続していたか。
にもかかわらず二人の目の前でリーダーは殺害されてしまった。
遺体は既に教団内で秘密裏に処理されてしまった。
「『あけぼの』はいかがです? あそこの残党がまだそのへんをうろうろしているということは?」
「教団内では教義に関する書物以外のものを読むことは禁止されています。」
『空気さなぎ』はとっくの昔にベストセラー・リストから姿を消していた。一位になっているのは『食べたいものを食べたいだけ食べて瘦せる』というダイエット本だった。
天吾は水割りウィスキーのグラスを手に、そんな三人の姿を見ながら『マクベス』に出てくる三人の魔女を思い浮かべた。「きれいはきたない。きたないはきれい」という例の呪文を唱えながら、マクベスに邪悪な野心を吹き込む魔女たちだ。
ひと 小説で三島由紀夫賞に決まった批評家 東浩紀さん(39)
天才か、さもなくばペテン師だ。若き日の吉本隆明さんを作家・伊藤整が評したことばは、東さんに重なる。その話は常に大きい。
受賞作「クォンタム・ファミリーズ」は量子家族という意味で、核家族にもなれない家族の姿をSF小説的な味わいで描いた。「ものを考えることの中核には、ほらを吹くことがある。やせ細り、たこつぼ化した批評の世界ではできなくなった大ぼらを小説の世界で楽しみたい」
本紙で論壇時評を執筆中だ。受賞の知らせは論壇委員会に向かう途中で受けた。「ぼくの仕事は分裂しているように見えてしまうが、日本ではもともと論壇と文壇は比較的近いところにあった」
批評家としての才能は、東京大在学中に思想家・柄谷行人さんに見いだされたほど。仕掛けに満ちた自らの受賞作に関しても「ぼくが驚くような批評を見せて欲しい」。
今後は批評から小説に仕事の比重を移していきたいという。「批評家になろうと思ったことは一度もない。最初の評論も、人生相談に行っても阪神タイガースの話しかしない柄谷さんに、まともに話を聞いてもらおうと思って書いただけ」
家庭では子煩悩な父親でもある。娘が生まれた喜びが小説のベースにあるというが、そこは批評家らしくひねっている。「娘が生まれて幸せな自分が信じられないので、そんな自分がいなかったかもしれないもう一つの世界について書くぞ、と」
文・加藤修
朝日新聞 2010年5月19日