柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

1254年 日蓮宗本山・藻原寺 創建

茂原で西から東に流れる一宮川沿いを歩く事が多いが
江戸時代の四谷から御茶ノ水かなと思う。
伊藤仁斎の漢文は中国でも評価が高かったという。


梅棹忠夫『狩猟と遊牧の世界 自然社会の進化』(講談社学術文庫

 農耕は、すでに自然社会においておこなわれていたものとかんがえられています。自然社会における農耕のなかで、灌漑によって穀物の大量栽培がはじまった。これが農耕革命でございます。
 人類史のある時期にこれがはじまるわけでございますが、場所をもうしますと、これはもちろんメソポタミアを中心とする地方でございます。時代をもうしますと、前六千年から五千くらいからこれがはじまっているのであります。
 この農業革命の成立というものを前提条件にして、都市というものが発生してくる。そして国家というものが誕生する。自然社会においては都市は存在しないし、国家も存在しない。農業社会においてはじめて都市と国家が成立するのであります。


伊藤仁斎は京都の人だった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E4%BB%81%E6%96%8E


梅棹忠夫『二十一世紀の人類像 民族問題をかんがえる』(講談社学術文庫

 現在、狩猟民としてのこっておりますのは、南アフリカカラハリ砂漠におけるコイサンブッシュマン)とか、あるいは、極北地方におけるイヌイットエスキモー)とか、きわめてわずかな人びとにすぎなくなっております。

 王権をもって王領にしたというのとはちがいますが、日韓併合以後、韓国における日本人の土地の併合・収奪にはすさまじいものがあったようです。高利貸資本による土地の買収をやった。当然、韓国農民は土地をうしなって流民化します。これがかなり日本へながれてきているわけです。

 民族でいえば、支配民族である大和民族のほかにアイヌ民族朝鮮民族、それから北方のカラフトにおきましてはニブヒ(ギリヤーク)とかウイルタ(オロッコ)、あるいは台湾の高山(高砂)族、漢族、それから南方諸島においては、かってチャモロとかカナカとよばれていた諸民族がおりました。


イヌイット http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88
アイヌ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C