柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

領土問題は存在しない

2004年3月24日 尖閣諸島魚釣島に中国人7人が上陸、沖縄県警が逮捕
http://www.asahi.com/special/senkaku/OSK200403240036.html
速報!釈放判断したのは、やはり仙石!テレビ朝日が報道!仙石は、日本国民を騙した!何の説明もせず、「検察の判断」と検察に責任転嫁。しかも、中国河北省で拘束された、フジタの日本人4人は「内閣府に指示で現場に行き、拘束された。」と重大証言。内閣府の責任者は仙石。仙石は、打ち首にすべき!
2010年09月24日(金) 22:14:00
http://twitter.com/nihonjintamasii/status/25402462965


レヴィナス "La substitution" 「身代わり」

ジャック・デリダは《difference》を《differance》と記している。だが、私たちは《essence》を《essance》と書くことを差し控えた。ちなみに、ジャック・デリダの卓越せる仕事に対しては、多くの点で敬意を表しておかなければならない。


レヴィナス "De Dieu qui vient a l'idee" 「憂慮なき欠損について」『観念に到来せし神について』

私たちは《essence》を《essance》と記し、そうすることで、存在(する)という語の動詞的意味を示そうとしている。《essance》は存在の遂行を、存在者(Seiendes)とは異なる存在(Sein)を示しているのだ。


ルソー『社会契約論』(光文社古典新訳文庫

 だからといって、首長の命令が一般意志として通用することがありえないというわけではない。主権者に、首長の命令に反対する自由が与えられていて、あえてこの命令に反対しないときには、それは一般意志として通用するのである。

意志は一般意志であるか、人民の一部の意志にすぎないかのどちらかである。

 これまで述べたことから、一般意志はつねに正しく、つねに公益を目指すことになる。

 一般意志は、全体とは異なるものであることが多い。一般意志は共同の利益だけを目的とするが、全体意志は私的な利益を目指すものにすぎず、たんに全員の個別意志が一致したにすぎない。あるいはこれらの個別意志から、[一般意志との違いである]過不足分を相殺すると、差の総和が残るが、これが一般意志である。

 人民が十分な情報をもって議論を尽くし、たがいに前もって根回ししていなければ、わずかな意見の違いが多く集まって、そこに一般意志が生まれるのであり、その決議はつねに善いものであるだろう。しかし人々が徒党を組み、この部分的な結社が[政治体という]大きな結社を犠牲にするときには、こうした結社のそれぞれの意志は、結社の成員にとっては一般意志であろうが、国家にとっては個別意志となる。