柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

一般意志と全体意志

ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿』(中山元訳、光文社古典新訳文庫

 こうして確立された原則から生まれる最初の帰結、そしてもっとも重要な帰結は、国家は公益を目的として設立されたものであり、この国家のさまざまな力を指導できるのは、一般意志だけだということである。

 そこでわたしは、主権とは一般意志の行使にほかならないのだから、決して譲り渡すことのできないものであること、そして主権者とは、集合的な存在にほかならないから、この集合的な存在によってしか代表されえないものであることを明確に指摘しておきたい。

 実際にある個人の個別意志が、ある点では一般意志と一致することがありえないわけではないが、少なくともこの一致が持続したものであるとか、恒常的なものであるとは考えられない。というのは個別意志とはその本性からして、みずからを優先するものであるが、一般意志は平等を好む傾向があるからである。個別意志が一般意志と一致することはつねに可能であるが、この一致を保証できるとは考えられない。


レヴィナス存在の彼方へ』(講談社学術文庫

「私たち一人一人が万人に対して罪を負うているが、この私は他の誰にも増して罪を負うている」、ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』のなかでこう書いている。