柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

佐藤優・柄谷行人 危機の時代のキリスト教

sasaki_makoto2010-11-16

佐藤優反革命国益を守る)と柄谷行人世界同時革命、資本を揚棄する)。
志向は対立するが知的刺激に満ちた対談だったという事だろう。
米ソという2項対立があった為に存在しえた脱構築という遊びと違って。


佐藤「神はかつて天にいた。キリスト教が地動説を認めた後、神は人間の中にいると考えられるようになった。
ナチズムにハイデガーのように加担した神学者がいた。
ナチに同調した人々にとってヒトラーイエス・キリストであった」
ナチズムはキリスト教過激派だったと言えるのかもしれない。
そこでは小泉内閣のようにユダヤ教抵抗勢力としたのだ。


大川周明五・一五事件に関与していたのか。
コーランを初めて日本語に全て翻訳したという。
イスラムと過激派は結びつくのだろうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%91%A8%E6%98%8E


佐藤・柄谷「アルカイダは国家を越えたアソシエーションである」
柄谷氏が以前、9・11によって宗教について考える必要が出てきたと言った意味が分った。
アルカイダイスラム教だとかキリスト教と対立するという事ではない。


柄谷「2000年頃、資本主義は自然に揚棄されるのではなく
自分で揚棄しなければならないと思うようになった」
NAMで資本を揚棄出来なかったという事かと思ったが
NAMを始めた時の事か。


古代ギリシアの民主政の他の2つの原則は、「イソノミア (isonomia, ισονομία)」すなわち「法の下の平等」と「イソポリテイア (isopoliteia, ισοπολιτεία)」すなわち「投票における平等」と「政治に携わる機会の平等」である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%82%B9


関本洋司 http://yojiseki.exblog.jp/11573252/
飛弾五郎 http://blog.livedoor.jp/hida_2005/archives/51640564.html
Kentaro_SUZUKI http://twilog.org/suzuken2002
鈴木俊一 http://shunichisuzuki.blogspot.com/2010/11/blog-post_15.html