柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

柄谷行人中上健次全対話 文芸文庫

発行年月日:2011/04/08
定価(税込):1,365円
内容紹介
若き日の出会い以来常に世界的視野で表現を続けた批評家と作家の軌跡
一九六八年、遠藤周作が編集長をつとめる「三田文学」編集室に若い批評家と小説家が呼び出された。
この奇蹟の出会いによる鮮烈な印象は、互いの記憶に深く刻みこまれた。やがて日本文学の立役者となった二人は、常に相手を、さらに世界を強く意識し、「協働」するに至る――
批評家・柄谷行人と小説家・中上健次の全対談と往復書簡を収録する画期的な対話集!
中上
正義は正義だ。不正義は不正義だ。それを言わないとどうしようもない、というところに来ています。このままでは、文学が成り立たなくなる。
柄谷
僕は、ちまちましたポストモダンシニシズムとかイロニーとかにうんざりしている。あんなのは自意識の欠落だよ。シュレーゲルが言ってるんだけど、イロニーの最終形態は真面目になることだ、と(笑)。だから素直にやろう。――<本文より>
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=290120X&x=B


大澤真幸『〈自由〉の条件』(講談社

柄谷行人は、トドロフの議論をも参照しつつ、一六世紀に資本主義的な「世界市場」が成立したのと並行して、アリストテレス的な「無際限」な外部に代わって、「無限」な世界という観念がもたらされた、という事実に注目してきた(「トランスクリティーク(七)」)。私の考えでは、「世界市場」が無限だということは、それが、みずからの普遍性を主張する領域だということである。「無限」の特徴は、それが、無規定・無際限なカオスを許容しない、閉じられた領域だということである。それは、普遍的であるということの本質的な意味でもある。市場が資本主義的な世界市場ついて成立したとき、それは、常にその度に、自身の外部に無限定に広がる外部を許容しない、最高度に包括的に普遍的領域として、自己を提示してきたのだ。


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