柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

プラトンは唯物論を批判したか

中沢新一の『はじまりのレーニン』(岩波現代文庫)によれば、
プラトンデモクリトスとその原子論=唯物論を隠蔽したという。
マルクスは1841年の
デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学との差異」で
デモクリトス唯物論に注目したのだろうか。


プラトン『法律 下』(前三五五〜前三四七年頃、森進一・池田美恵・加来彰俊訳、岩波文庫

 すなわち、わたしとあなたとが、神々が存在することの証拠として、あなたがさっき挙げられていたまさにあれらのもの、つまり太陽や月や星々や大地を持ち出して、それらのものは神々ないしは神的なものだと言うとすれば、あの知者たちによって説き伏せられている人(若者)たちの方は、それらのものはたんなる土や石にすぎないのであって、人間のことには何ひとつ配慮する能力のないものであるが、ただ人びとを信じさせるために、言葉によって何とかうまく飾り立てられているのだ、というふうに言うことでしょう。


デモクリトス(紀元前460年頃−紀元前370年頃)
プラトンが手に入る限りのデモクリトスの書物を焼き「彼の著書で多くの言葉を費やす者は、いかなる正しいことをも学ぶ能力がない」と言った伝説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%88%E3%82%B9
プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3


カール・マルクス「第二版後記」『資本論 経済学批判』(岡崎次郎訳、大月書店)

 私の弁証法的方法は、根本的にヘーゲルのものとは違っているだけでなく、それとは正反対なものである。ヘーゲルにとっては、彼が理念という名のもとに一つの独立な主体にさえ転化している思考過程が、現実的なものの創造者なのであって、現実的なものはただその外的現象をなしているだけなのである。私にあっては、これとは反対に、観念的なものは、人間の頭のなかで置きかえられ翻訳された物質的なものにほかならないのである。

  ロンドン、一八七三年一月二四日