柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

アリストテレスはデモクリトスに言及している

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(加来彰俊訳、岩波文庫

九巻四四

 デモクリトスはこのように考える。万有の原理(アルケー)は原子と空虚である。他のすべてのものは、考えられただけのもの、信じられただけのものにすぎない。

九巻四〇

 アリストクセノスが『歴史覚書』で語っているところによると、プラトンは手に入る限りのデモクリトスの書物を燃やしてしまおうとした。しかしピュタゴラス派のアミュクラスとクレイニアスは、そんなことをしてもなんの役にも立たない、これらの書物はすでに多くの人々の手元にあるのだからと、プラトンを思いとどまらせたという。プラトンがそうしようとしたのは明らかだ。プラトンはほとんどすべての昔の哲学者の名前をあげたものの、デモクリトスについては一言も言及していないからである。おそらくプラトンは、最高の哲学者になろうとすれば、デモクリトスと競うことになると確信していたのであろう……


アリストテレス形而上学』(出隆訳、岩波書店

一巻四章

 レウキッポスとその仲間のデモクリトスは、充実体(プレーレス)と空虚(ケノン)が、すべてのものを構成する要素(ストイケイア)であると主張し、充実体を存在するもの、空虚を存在しないものと呼んだ。充実し、凝固しているものは存在するものであり、空虚なものは存在しないものだという。だから彼らは存在するものは、存在しないものに劣らず〈ある〉のだと主張する。空虚の〈ある〉は、物体(ソーマ)の〈ある〉に劣らず〈ある〉のだという。

 レウキッポスとその仲間のデモクリトスは、構成要素(ストイケイア)には充実体(プレーレス)と空虚(ケノン)があると語った。そして充実体は〈あるもの〉であり、空虚は〈あらざるもの〉であるという。充実していて凝固しているものが〈あるもの〉で、空虚で稀薄なものは〈あらざるもの〉だと考えたのである。だから〈あらざるもの〉は〈あるもの〉に劣らずに、〈ある〉と主張する。空虚は充実体に劣らず〈ある〉からである。そしてこれらが、質料(ヒュレー)としての原因だと語るのである。なお、土台となる実体は一つだと主張した人々は、他のすべてのものは、この実体がなにかの変化をこうむるために生じると主張し、この変化をこうむる原理としては稀薄と濃密をあげていた。同じようにレウキッポスとデモクリトスも、原子の差異が他のすべてのものが生まれる原因であると主張している。ところで彼らによると、この原子の差異には、形状と配置と位置の三つの違いがある。ここで形(リュスモス)といっているのは形状のこと、並び方(ディアティゲー)といっているのは配置のこと、向き(トロペー)といっているのは位置のことだからである。AとNは形状によって異なり、AとNAは配置によって異なり、ZとNは位置によって異なる。

四巻五章

 だからデモクリトスは、なにものも真ではないか、少なくとも人間には隠されていると語っている。また一般にかれらは、思慮(フロネーシス)を感覚(アイステーシス)とみなし、そして感覚を〔物体の〕変化であるとみなすために、感覚における現われは、必然的に真理と言わざるをえない。エンペドクレス、デモクリトス、そして他のほとんどすべての人々が、こうした考え方のとりこになったのも、そのためである。たとえばエンペドクレスも、事情が変われば思慮も変わると……

八巻二章

 デモクリトスは原子には三つの違いがあると考えていたらしい。土台(ヒュポケイメノン)となる物体は、その質料(ヒュレー)においては同一であるが、形(リュスモス)すなわち形状によって、向き(トロペー)すなわち位置によって、並び方(ディアティゲー)すなわち配置によって区別されると考えていたようだ。


アリストテレス『天体論』(村治能就訳、岩波書店

一巻七章

 万有が連続しているのではなく、レウキッポッスやデモクリトスが語っているように、空虚(ケノン)で隔てられているとするなら、万有の運動は一つでなければならない。……金が小さな破片に分けられても金であるように、……その本性は一つである。

三巻二章

 レウキッポスやデモクリトスは、最初の物体は、無限の空虚の中をつねに運動していると語るが、それならばそれはどのような運動なのか、その本性(フュシス)にふさわしい運動とはどのようなものなのか、説明すべきである。なぜなら、ある元素が他の元素によって強制的に動かされるとしても、それぞれの元素にふさわしい運動というものがなければ、強制的な運動というものはないはずだからだ。また最初に動かすものは、強制によらず、本性にしたがって動かすのでなければならない。もしも最初に本性によって動かすものがなく、つねにそれよりも前のものに強制的に動かされるのであれば、無限にさかのぼるほかないからである。

三巻四章

 他の人々、レウキッポスやアブデラのデモクリトスが示した方法で説明しても、その結果は合理的なものではない。……さらに彼らは、物体はそれぞれ形が異なり、形は無数にあるので、単純物体も無数にあるという。ただし彼らは、それぞれの構成要素(ストイケイオン)(原子)の形がどのようなものであるか、そしてなにであるかは詳しくは語っていない。ただ火の形は球であると語り、空気やその他のものは……


アリストテレス『生成消滅論』(戸塚七郎訳、岩波書店

一巻二章

 一般に承認されていることを概括して考えることができないのは、経験不足のためだ。自然のさまざまな現象のうちで暮らしてきた人なら、広い範囲にわたって関連づけることのできる原理(アルケー)を提示できるものだ。しかし多くのことを議論しながらも、実際の事実をみていない人は、わずかな事実をみて、いとも簡単に自分の意見を表明する。これもみても、自然学を専門とする人々と、推論を専門とする人々の違いがどれほど大きいかが明らかだろう。分割できない大きさがあるという議論についても、(推論をこととする人々は)これがなければ、三角形そのものが〈多〉になってしまうと主張する。これにたいしてデモクリトスは、この問題にふさわしい議論、すなわち自然現象についての議論から、このことを確信しているようである。

一巻八章

 デモクリトスは、原子は(その大きさが他の原子を)凌駕すると、それだけ重くなると言っていた。


アリストテレス『霊魂論』一巻(山本光雄訳、岩波書店

 すなわちデモクリトスは霊魂(プシューケー)と理性(ヌース)は同じだという。〔感覚に〕現われるものがそのまま真であると考えるからである。


最近、デモクリトスの原子論を考えようと思ったのは
福島の原発事故のためかもしれない。


福島第一原子力発電所
1号機 燃料 二酸化ウラン
2号機 燃料 二酸化ウラン
3号機 燃料 MOX燃料 (プルサーマル):3割程度 二酸化ウラン
4号機 燃料 二酸化ウラン
5号機 燃料 二酸化ウラン
6号機 燃料 二酸化ウラン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%99%BA