柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

大江健三郎、明治神宮、布袋寅泰

sasaki_makoto2011-05-21

19日、図書館に寄贈。
八木雄二『天使はなぜ堕落するのか』(春秋社)


借りて来た。
マルクス・コレクションI』(筑摩書房
ジャン=リュック・ナンシー『限りある思考』(法政大学出版局
岡田温司『ジョルジョ・モランディ』(平凡社新書
ウリオール・ブイガス『モデルニスモ建築』(みすず書房


井筒俊彦『意識と本質』
大江健三郎『水死』は無かった。


護国寺講談社大江健三郎星野智幸


20日、渋谷パルコ(岡本太郎展をやっている)で購入。
アンソニー・フリント『ジェイコブズ対モーゼス』(鹿島出版会
初めて明治神宮の中に入った。
布袋寅泰、代々木ライブ。


1912年(明治45年)に明治天皇崩御し、立憲君主国家としては初の君主の大葬であったがその死に関する法律はなく、何らかの記念(紀念とも)するための行事が計画される。その事業は程なく予定されていた明治天皇即位50周年のものを引き継ぎ(明治天皇銅像帝国議会、博物館などさまざまな案があった)、続いて、1914年(大正3年)に皇后であった昭憲皇太后崩御すると、政府は神社奉祀調査会を設置して審議し、大正天皇の裁可を受けて、1915年(大正4年)5月1日、官幣大社明治神宮を創建することが内務省告示で発表された。
明治天皇が「うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ」と詠んだ代々木の南豊島世伝御料地を境内地として造営が行われた。1920年大正9年)11月1日に鎮座祭が行われた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%A5%9E%E5%AE%AE


汪暉『世界史のなかの中国』(青土社

カイロ会議は一九四三年一一月二二日より二六日まで開催され、ルーズベルトチャーチル蒋介石という三名の大国の指導者及びそれに随行した軍と政府の首脳が会談を重ねた。


蒋介石日記』一九四三年一一月二三日

而して今晩談じたる所の要旨。一、日本未来の国体問題。


國立編譯館主編『中華民國外交史料彙編 一二』(渤海堂文化公司

戦争に勝利したからといって、一国の国体に口を出すのは、全くもって上策ではない。しかも日本の天皇制は、その民族の精神構造において、自ずと地位が与えられているのであり、この点について、西洋人が認識を持てているとは必ずしも言えず、日本人と同じ東洋人である中国人のほうが比較的理解しているのである。


帝都復興院は、1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災翌日の2日より、帝都復興省案とともに検討され、9月27日に山本権兵衛内閣により設置された政府機関。
復興院が立案した帝都復興計画は、伊東巳代治(枢密顧問官)ら長老政治家や、野党政友会の反発によって大幅に縮小された。また同年12月の虎ノ門事件により第ニ次山本内閣が総辞職すると、総裁は後藤から水野錬太郎に交代し、1924年大正13年)2月25日に帝都復興院は廃止された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%83%BD%E5%BE%A9%E8%88%88%E9%99%A2