柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

無限定と無限

ジャン=リュック・ナンシー『限りある思考』(合田正人訳、法政大学出版局

 形式もしくは輪郭、それは限界づけであり、限界づけには美に関わることがらなのだが、逆に、無限定なもの、それは崇高に関わることがらである。
 無限定なものは無限と混同してはならない。少なくとも、現実的無限(ヘーゲルにとっての「善き無限」)という精密な概念とは。


スピノザその可能性の中心, 2011/2/13 by yojisekimoto
スピノザの方法 國分功一郎
本書では、定義あるいは規範(p262)が起成原因(p233)たり得る条件が、『知性改善論』、対デカルト、『エチカ』第一部の中に丁寧に探究される。唯一残念なのは柄谷行人が『探究2』(p280等に端的にみられる本書の基本アイデアはすべてここにある)で示した無限(p223)と無際限(p44?)の区別が明確でないことだ。本書ではそれらはそれぞれ創出的方法と創出された方法(p89) に対応するのだろうが、、。 ネグリよりもスピノザの可能性を捉えてはいるが、本書はデカルト(自然の光が無限のアポリアを解消する)というよりも直観ではなく反省(p263)を重んじるという意味でカント的である。 『エチカ』第一部の分析も肝心のアイデアの出自=ドゥルーズが、『思想』掲載論文にはあったのに、なぜか曖昧にされている。十全な観念重視の柄谷と判例重視のドゥルーズの解釈の立場の相違が補完的に作用することを確認するいい機会だったのに。 追記: とにかく結論としては、本書より先に『探究2』を読むべきである。