柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

統制的理念

ジャン=リュック・ナンシー『限りある思考』(法政大学出版局

 みずからの起源であり、みずからの終末を我が物とするような自己(そのような自己はヘーゲル的〈自己〉であり、また哲学的〈自己〉一般である、もしくはそのように見える。たとえ哲学的〈自己〉がこのように我が物とすることを「統制的理念」に、あるいはまたあらゆる種類の相対主義に、更には「終末の謎」もしくは「問いの不断の追求」に、要するに思考の四散に溶かして薄めるとしても)――このような自己はきわめて正確な意味で意味づけされざるもの〔常軌逸脱したもの、狂ったもの〕(insense)である。

 闘争はここまで、人間の(始原的でかつ終末的な)自己‐生産という統制的理念によって導かれてきた。

 プラトンが、空の星々を見上げていて井戸に落ちたタレースを描こうとしたとき、彼はタレースにトラキアの召使娘の笑い声を聞かせた。トラキアからテッサリアまでは遠くなく、かつては同じ人々が住んでいた。


アリストテレスにも『自然学』がある。

アリストテレス『自然学』八巻第一章(出隆・岩崎允胤訳、岩波書店

 デモクリトスはこれを理由に、すべてのものが生成したものであることはありえないと語っている。時間は生成しないからだ。