柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

合田正人『吉本隆明と柄谷行人』PHP新書

sasaki_makoto2011-06-24

第一章 思考の地殻変動
第二章 個体とは何か
第三章 意味とは何か
第四章 システムとは何か
終章 倫理とは何か――愛も正義もないところで


吉本隆明『貧困と思想』(青土社、二〇〇八年)

僕が一番関心を持っている中産階級の中以下の産業とか個人産業とか、肉体労働者とはどうなっていて、そういう人たちがどういう不平と格差に対する思いを持っているか。それに対してどういう方策を講じてやってるのかという問題が是非とも必要だと思って、僕自身はそれを考えているんです。(……)蓮實重彦さんとか柄谷行人さんの議論でもそんな人たちに関係あることは何も出てこないですよ。


吉本隆明「贈与の新しい形」『東北学』第1号(一九九九年)

差別が起こったり、経済的な格差があったりを民衆がどうしたら解消できるのかは、マルクス主義では世界同時に革命を起こせばいいんだといいます。でもそんなことできやしないとしたら、僕は新しい贈与制しかないんじゃないかと思うんです。


吉本隆明カール・マルクス』(一九六六年)

市民社会はもともと国家の外にある。


吉本隆明「あとがき」『言語にとって美とはなにか 第二巻』(一九六五年)

わたしの心は沈黙の言葉で〈勝利だよ、勝利だよ〉とつぶやきつづけていた。


柄谷行人トランスクリティーク』(批評空間社、岩波現代文庫

現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。


絓秀実『吉本隆明の時代』(作品社)

この実証は、『近代日本の批評――昭和篇 上』における柄谷行人の発言の一つの担保となっていると思われる。

議会制は、優れた者、多数者の支配にほかならず、民主主義ではないという指摘がある(ジャック・ランシエール『民主主義への憎悪』)。それは共和制であり、民主主義とは対立するものだという。民主主義は「少数者」のものであり、それは「クジ引き」を本質とする、云々。確かに、民主主義をそう捉えれば、そうである。だがその時、議会制においては「議会」という「普遍性」が作為されていた。「クジ引き」においても、この「普遍性」の問題は必ず回帰してくるほかはない。そして、少数者の「普遍性」を、マルクスは「プロレタリア独裁」と言ったのではなかっただろうか。「民主か独裁か」という問いの正解が「独裁」であるべきだとは、このような意味においてである。

武井の回想によれば、吉本隆明から「『試行』発行を吉本・谷川(雁)・武井の三人でやらないか、と相談▸7」があったというのだ。

すでに、この年(六一年)の七月には東大、中大、早稲田など首都圏大学と京大、同志社の関西社学同の連名で、「学生運動の自立性」を掲げる「社学同再建のアピール」(社学同機関紙「希望」創刊号、『資料戦後学生運動 第六巻』)が書かれていた。柄谷行人(当時は東大駒場)の手になると言われる明快なこのマニフェストが、島=吉本の(そして、武井の)目論見とリンクしていくことは想像に難くない。

▸7 柄谷行人・絓による前掲武井インタヴュー「五〇年代の運動空間」(「批評空間」第II期二〇号、後に武井によるコメントを付して、前掲武井昭夫対話集『わたしの戦後――運動から未来を見る』に所収)。

労働価値説に対して価値形態論の優位を最初に説いたのは戦後すぐの宇野弘蔵であったが、その歴史的な意味を知らしめたのが、柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』にはじまる七〇年代後期からの一連の著作である。

丸山真男労働組合をはじめとする「中間団体(ゼクテ)」(ウェーバー)の意義を不断に強調するのも、そのためである。

フーコーが丸山の名前をあげている日本での講演「政治の分析哲学」(渡辺守章訳)から忖度する限り、フーコーは英訳で読んだという『日本政治思想史研究』における、荻生徂徠儒教的「作為」概念を、ヨーロッパにおいて「国家の形態の成立に重要な役割を果たした」ところの、当時フーコーが「〈牧人=司祭〉型権力」と呼んだものとアナロジーしているように見える。

吉本が『言語にとって美とはなにか』を刊行した翌年、すなわち一九六六年九月にはサルトルボーヴォワールをともなって来日し、三回の講演とボーヴォワールも交えた三つの座談会(シンポジウム)をおこなった(講演記録は日本講演集『知識人の擁護』として刊行、また、『シチュアシオン VIII』に収録)。

「自己否定」などという厚顔無恥な聖職者意識が幅をきかせた理由であり、「辺境最深部に向かって退却せよ!」(太田竜)といった、第三世界革命論として表現されるパラノイアックなサバルタン主義が声高に叫ばれもした。


1957年 1月27日 日本トロツキスト連盟結成(12月に各共同と改称。内田英世、太田竜黒田寛一

1969年 6月 柄谷行人「意識と自然――漱石試論」

1972年 10月23日 北海道旭川市公園内の「風雪の群像」、北大文学部アイヌ文化資料室で爆弾爆破


武井昭夫「芸術運動家としての花田清輝」 http://www3.gimmig.co.jp/hanada/takei.html


ミシェル・フーコー「政治の分析哲学」(一九七八年、渡辺守章訳)

たとえば、成田で起きていることにしても、新空港建設に反対している人たちは、闘争によってより多くの利益を引き出そうとしているわけではなく、伝統的に権力が反対者に押しつけるゲームそのものを拒否しているように思える。