柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

神田錦華小学校

30日、COMPLEXの東京ドーム2公演を見るのに
水道橋・庭のホテルに泊まった。

部屋の浴室が白を基調としていて
91年、布袋寅泰のロンドン・ライブを見るのに泊まった
テムズ川に面したスウェーデン系のホテルを思い出した。

31日朝、チェックアウトしてアキバまで歩く途中、
錦華小学校という学校の前を通ると
夏目漱石が在籍していたと書かれた碑があった。


小島信夫批評集成 3私の作家評伝』(水声社

 それがハッキリと漱石の思想をもった人物を中心とする『それから』(明治四十二年)、続いて『門』といったぐあいに新聞に連載していたとき、転地療養さきの修善寺の菊屋旅館で吐血し、人事不省に陥った。

夏目漱石
明治一一年 神田錦華小学校より第一中学校に入学。
  三三年 英国留学のため九月横浜を発ち、ロンドンの下宿屋を転々とする。
  四三年 「門」発表。胃潰瘍のため修善寺に転地療養。


前にも書いたが、僕の曽祖父・遠藤佐市は修善寺出身で
1900年(明治33)頃、北海道・厚岸に渡ったようだ。