柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

商品交換とは違ったタイプの交換

合田正人吉本隆明柄谷行人』読み終わる。


柄谷行人『定本4 ネーションと美学』

 一般に、国家やネーションは、経済とは異なる、政治的、文化的、あるいはイデオロギー的次元にあると見なされている。しかし、私は、国家やネーションを広い意味で経済的な問題として扱うべきだと考える。つまり、国家やネーションを、商品交換とは違ったタイプの交換に根ざすものとしてとらえるということである。


柄谷行人『世界共和国へ』

 私はこのような分類は今も有効だと思います。ただ、私はこれを生産様式というかわりに、交換様式という観点から考え直したいと思うのです。

 三つの交換様式の接合であり、ただ、その接合の仕方と濃淡が、多様に異なる社会構成体をもたらしている。


僕は柄谷行人の影響で
中上健次小島信夫古井由吉を読んだ。
早稲田祭渡部直巳氏の講演(柄谷氏の前の時間)を聴いて
中上健次全集14・15』を購入。
古井氏は確か2回、風花の朗読会で本人を見た。
小島信夫は『アメリカン・スクール』『抱擁漢族』などを読んだが
『私の作家評伝』を潮文庫で読んだ時、以下の部分が印象的だった。


小島信夫批評集成 3私の作家評伝』(水声社
「不易の人 岩野泡鳴」

 大江(健三郎)は何げなく礼を尽して「恐縮ですが」といいかかったのだが、前々から私はこの現代青年(もう青年ではないかもしれない)の文章が、何重もの副詞や形容詞に守られていることを面白く思っていた。

 その文章は形容詞と副詞に包みこまれている。私はそれを読むと、大江という人が松山の奥の肱川上流の、あの「おはなはん」と結びつけられてすっかり有名になった大洲の、そのまた奥の山間に少年時代を過して、だんだんと中央へと出てくるにつれて、防備のために一つずつ形容詞や副詞をつけてきた様子が、しのばれる。

 こうして彼の形容詞や副詞はきわめて外国文学ホンヤク風になっている。


小林敏明氏が廣松渉、カント、大江健三郎には
地方出身で難解な文章を書くという共通点があると言っている。

徳冨蘇峰もトルストイに会っていたらしい。


「明治の弟とその妻 徳冨蘆花

 外遊中トルストイ翁に会った兄(蘇峰)は、このロシア人のことを小説家でなくてもえらくなれるとしたたか者だと弟(蘆花)に書いてきている。

 (明治三十九年)ヤスナヤポリヤナでトルストイに会った。このトルストイ邸での滞在は五日間であったが、便所に行くのを遠慮したあげく野糞をしたことや、トルストイ翁が夫人とは性生活をする能力がないといったということを『ヤスナヤポリヤナの回顧』(大正六年)に書いている。


「渋民小天地 石川啄木

 色々会合をやったりして歌を作り、『岩手日報』に書いたり、足尾鉱毒事件のことで、友人伊東圭一郎のすすめで号外を売ってその金を寄付したりする。