柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

熱力学第二法則

大澤真幸『量子の社会哲学』(講談社

 だが、しかし、実は、物理法則の中に一つだけ例外がある。不可逆的な時間を表現していると解釈できる法則が、一つだけあるのだ。熱力学第二法則、すなわちエントロピーの不可逆的な増大を意味する法則が、その例外である。


津島佑子『黄金の夢の歌』(講談社

 サハリン島の南半分は日本領だったので、そこに住んでいたニブヒ(以前は、ギリヤークといった)、そしてアイヌも「日本人」として扱われ、日本の敗戦にともない、かれらは北海道にいやでも移住しないわけにはいかなかった。


『黄金の夢の歌』は、柄谷行人氏が朝日新聞の書評で
初めて小説を対象にした作品という。
しかし、語り手がキルギスを訪れた事を記したエッセイ風だ。
バイカル湖の話で、日本人の原型となった人々が
バイカル湖周辺から日本に渡って来たという説を思い出した。
その方向の移動ではなく、どちらでもない地点から分れて
バイカル湖と日本に向かった可能性はないのだろうか。
全編、普通なら地の文で「わたし」となると思われる人称が
「あなた」となっているのがユニークだ。
読んでいて、自分が場面に放り込まれ
自分にない記憶を呼び起さなくてはならない気になる。
ギリヤーク(村上春樹1Q84』)、漢族の話などは
丸川哲史氏が講師をした今年3月の長池講義や
柄谷氏が最近、関心を持っている人類学と接点が多く
柄谷氏に書評される為に書かれた気さえする。
津島佑子さんは脱原発デモに来られたようです。
ニブヒと二風谷、イヌイット(アラスカ東部のエスキモーという)とアイヌ
関連はどうなのだろう。


キルギス共和国


人類は少なくとも2万年前頃にバイカル湖周辺に到達しており、湖の西にあるアフォントヴァ山遺跡からは人骨が発掘された。ここで寒冷な気候に適応し北アジア人(北方モンゴロイド)的な特徴を獲得して5000-3000年前頃にはここから南下し、中国東北部朝鮮半島黄河流域、江南地区そして一部は日本列島へ渡来したと考えられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%AB%E6%B9%96
ニヴフ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B4%E3%83%95
しかし、ダムが建設される二風谷地区は、アイヌ民族にとって「聖地」とされてきた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%A2%A8%E8%B0%B7%E3%83%80%E3%83%A0
エスキモーとは単一の民族ではなく、大きくはアラスカ北部以東に住むイヌイット (Innuit) 系民族 (東部集団) とアラスカ中部以西のユピク (Yupik) 系民族 (西部集団) に分けられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A2%E3%83%BC


チェーホフはサハリンの次に日本に行きたかったという。


1890年の4月から12月にかけて、チェーホフは当時流刑地として使用されていたサハリン島へ「突然」でかけ、過酷な囚人たちの生活をや環境をつぶさに観察し記録を残した[2]。この時の見聞は旅行記サハリン島』(1895年)としてまとめられて出版されており、サハリン旅行を作家チェーホフの転機とみなす指摘は少なくない。
2. この時チェーホフは現地の日本の外交官とも交流し、さらに日本へ渡航することも計画したが、これはコレラの流行のために断念せざるを得なかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%95


栗本慎一郎は昔、良く読みました。
シルクロードの経済人類学―日本とキルギスを繋ぐ文化の謎』(東京農業大学出版会)