柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

佐々木中は「わかる」ということを問題にしている

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を 〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』(河出書房新社

つまり、大学の教養学部のカリキュラムが最も貧しい意味で「批評家」を生み出すようなシステムになっていた訳です。

ですが、そのような理屈が通るのなら、イエス・キリスト自身もキリスト教という新しい宗教の開祖だと名乗った証拠は何もない。彼にはユダヤ教の一分派の頭という自覚しかなかった。

フロイトの有名な言葉がありますね。抑圧されたものは外から回帰する、と。

文学が終わった近代文学が終わった藝術が終わった、と言うばかりか、言うにこと欠いて世界は終わっただの歴史が終わっただの言って、何か言った気になっている可哀想な人たちは後を絶ちませんね。


佐々木中(ささき・あたる)
1973年生。東京大学文学部思想文化学科卒業、東京大学大学院人文社会研究系基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、立教大学東京医科歯科大学教養部非常勤講師。専攻は哲学、現代思想、理論宗教学。著書に『夜戦と永遠―フーコーラカンルジャンドル』(以文社、2008年)がある。


ジャック・ラカン "S. XXXVI, La topologie et le temps" 『トポロジーと時間』
1979/1/9
ボロメオの結び目のメタファーは、そのもっとも単純な形態においては、不適切なものです。
1979/2/20
ボロメオが一般的なものになってしまって、わたしはうんざりしています。
1979/3/13
こうしたことは、私が一般化されたボロメオを研究してでてきたことなのです。いうまでもなく、一般化されたボロメオ、これについてはもう、私には何もわからないのです。


キリスト教 Christianity, Christianism
キリスト教徒 Christian, Christianist
マルクス主義 Marxism
マルクス主義者 Marxist, Marxian


津島佑子は『黄金の夢の歌』(講談社)で
アレクサンダー軍が匈奴になったかのように書いている。