柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

君はイオニア人かアテネ人か

柄谷行人は以前「歴史を語る時、常に現在からの遡行になる」
と言っていた。
歴史を公正に語ろうとする場合もあれば
意図的に都合良く語る場合もあるだろう。


エムぺドクレス(前四九二〜四三二頃)『フュシスについて』断片六

 いざや、まず、万物の四根に耳をば傾けよ
 輝きたつゼウス、いのちもたらすへーレーにアイドネウス
 その涙もて青年草の泉うるおすネスティスに。


エンペドクレス Emped. fr. 115, 3ff.

 空気の力はかれを海が方に逐い
 海はこれを大地に吐き上げ、地はまたこれを眩耀まぶしき
 太陽の熱光に投じ、太陽はそを渦なす空気に返す。


山川偉也『古代ギリシアの思想』(講談社学術文庫

 イオニア人たちは、まさに、ヨーロッパ的学問形成の原形的パターンを創出したのである。彼らが鼓吹した学問の理念は、確実に、ケプラーコペルニクスにいたるまで届いているのである。

 アルクマイオンは、人間の身体の間に「イソノミアー」(平衡)が成り立っているとき人は健康を保つが、熱や冷の超過や不足のために調和が破れ、諸力のうちの一つが全体を支配して「モナルキアー」(独裁)が訪れると病気になる、と主張した。

 そのとき彼(エムぺドクレス)は、根源物質(アルケー)としての四つの「根」(リゾーマ)、すなわち、〔火〕・〔気〕・〔水〕・〔土〕の集合・離散によって「現象」を説明しようとした。

 ソクラテスの弟子たち、メガラのエウクレイデス、アテナイのアンティステネス、キュレネのアリスティッポスによって創設されたところのメガラ学派、キュニコス学派キュレネ学派は、相互にしばしば対抗的であり、その関心事も大いに異なっていたにもかかわらず、プラトンアリストテレスが主導した「概念」と「国家」の哲学に対しては、一貫して反対した。

 十三世紀のアリストテレス受容は、キリスト教「神学」(Theo-logia)という奇怪なものを生んだ。これは、アリストテレスの神を創造論に合うように裁断した結果出現した「存在‐神‐論」(Onto-theo-logie=ハイデガー)であり、元来、キリスト教とは根を異にするものであった。しかしながら、アリストテレスの神は、すぐさま、キリスト教の神になったわけではない。というのも、アリストテレスの神は元来創造の神ではなく、「不動の動者」だったからである。ギリシアには「創造」という観念はない。ところがキリスト教の神は、「無」から一切の被造物を創造するであった。この神は、何ものにも制約されることのない自由・絶対意志・全知全能を属性とする神であった。このような神は、ギリシア人のまったく与かり知らぬものであった。ヘラクレイトスの断片に明らかなように、ギリシアの神は「必然」によって支配された。他方、『旧約聖書』の伝統によれば、人間は「神の像」(imago dei)として例外的特権を賦与された被造物であった。さて、「無からの創造」についての教説と「神の像」としての人間という二つの観念が結びついたとき、そこに出現したのは、自然から超越して自己以外の一切の被造物に対して自由な処分権をもつ人間という観念であった。こうした「擬神」論的人間観は、やがて近世哲学の端緒の頃、自然を自分に向かい立たせ、「実験」のための拷問台に据える「主観性」という観念となって結晶する。
 創造の神学は、アリストテレスの人間観、より精確には、アリストテレスの霊魂論のキリスト教的変容の必然的帰結であった。

 ギリシア的ノエーシスは、「主観性」としての人間という観念と抱き合わせとなって、十七、八世紀における科学革命の時代に復活する。近世初頭の力学的世界観がまとまった演繹科学の形式は、プラトンアリストテレス的論証科学の理想の復興として見ることができる。「テオーリアー」はまさに「理論」(セオリー)となる。


井筒俊彦『神秘哲学 ギリシアの部』(慶應義塾大学出版会)

 ミスティークは西欧に於ては純然たる歴史的概念である。すなわちそれはイオニアの自然体験及び密儀宗教に端を発するヘレニズムと、旧約聖書に端を発するヘブライズムとの二大宗教思潮が基督教を通じて相合流し、中世カトリックの盛時を経て近世に入り、遂に十六世紀スペインのカルメル会神秘主義に至って絶頂に達するところの観照精神の長く且つ複雑なる伝統の上に立って甫めて理解されるものである。


柄谷行人「哲学の起源 第三回」 新潮9月号

 ところが、アリストテレスのいう目的因においては、ミレトス派が追い出した神々が戻っている。


十字軍国家はイスラム教徒の巻き返しに会い、14世紀初めまでに全てが滅ぼされ、ヨーロッパ人は西アジアを追われた。最終的に十字軍の「聖地をキリスト教徒の手に」という目標は達成されなかった。一方、その過程で、聖地巡礼者を防衛する騎士修道会イスラム教徒に伝道を行う托鉢修道会、捕虜交換と傷病者治療の修道会が誕生して、西欧キリスト教世界の文化的変革の触媒となった。そのひとつであるドミニコ会は、アラビア語文献の輸入と翻訳を通してアリストテレス哲学を再発見し、スコラ学を開花させた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2