柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

ハンナ・アレント『責任と判断』(筑摩書房)

ハンナ・アレント『責任と判断』(ジェローム・コーン編、中山元訳、筑摩書房

周知のように、ローマ教皇庁は一九三三年の夏にヒトラー体制と政教協約を締結している。そしてヒトラーのことを「共産主義(ボルシェヴィズム)を公式に非難する陣営に初めて参加した政治家」として賞賛していたピウス一一世は、ドイツの司教たちの言葉では、ヒトラーに「信頼の手を差し伸べた最初の外国の主権者」となったのである。政教協約は、ピウス一二世によっても廃止されることはなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A6%E3%82%B911%E4%B8%96_%28%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87%29
しかしナチス台頭後、ドイツ中央党党首フランツ・フォン・パーペンがナチスに接近、33年にナチスが政権を握った時、フォン・パーペンは副首相に就任し、ピウス11世は正式にナチス政権を認めた。