柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

第九回 長池講義 柄谷行人、槌田劭 原発とエントロピー

sasaki_makoto2011-10-15

水道橋。
日本大学通信教育部。
1955年頃、父が釧路の海上保安を休み
スクーリングに来た場所かもしれない。


たんぽぽ舎。
長池講義関係の方、柄谷夫人に挨拶された。
『「世界史の構造」を読む』を販売していたが
「渋谷パルコに注文してるので」と断った。
池田雄一丸川哲史高澤秀次市川真人太田出版といった方々。


講義。
槌田氏「地震原発は壊れるように出来ているんです」
休憩。柄谷氏が僕に何か言おうとしていた?
講義再開。
柄谷氏「資本主義はもう終ります」
その説明は藤沢、atプラス、『「世界史の構造」を読む』と
改稿された「自然と人間」に従うようだった。
マルクスは商人資本、利子生み資本、産業資本について考察した。
今日の講義はまさに「剰余価値が発生するのは、商品の等価性を評価する
価値体系が単一ではないから」についてだった。
中国、インドの資本主義が進めば、もう資本の蓄積を続ける事は出来ない。
最近、インターネットなどの通信技術の発達があったが
もうそのように発達する分野は無いだろう。
「『世界史の構造』を読んで下さい」と言っていたが
交換様式への言及は無かった。