柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

柄谷行人「帝国論」

@KinoShinjuku 紀伊國屋書店新宿本店
[今朝の新聞より]「朝日」もまた「書評委員 この1年」という欄が。柄谷行人さんは来年「帝国論」に取り組まれ、中島岳志さんの『血盟団事件』は執筆の佳境だとか。待ち遠しい限りです。 ^KO
12月25日


昨日、図書館で借りて来た。

池田雄一『メガクリティック ジャンルの闘争としての文学』(文藝春秋
今福龍太『薄墨色の文法 物質言語の修辞学』(岩波書店


柄谷行人『〈戦前〉の思考』(講談社学術文庫

 戦後のニ元構造が終わると、「第三世界」は「世界」としての意味を失った。それはもう一九八〇年代半ばに終わっていたのですが。もともと「第三世界」とは理念上の同一性なので、それを失うと、ただの発展途上国になる。それまで、この「第三世界」は、米ソに支配されながら、もう一つの「世界」を作っていたわけです。彼らも、ある意味でこの対立を利用しながらやることができた。たとえば、イラクの武器を見ると、ソ連・中国や英仏米のものがいり交じっている。ソ連につくぞ、アメリカにつくぞと脅しながら軍備を拡張してきたわけです。また、かつてはマオイズム(毛沢東主義)のような連帯の論理もあった。しかし、今や第三世界は、その「同一性」を失って、完全に先進資本主義国のジョイント・コントロールのなかにある。ブッシュがいう「世界新秩序」とは、そういうものです。


池田雄一『メガクリティック』(文藝春秋

 これは柄谷行人によって展開されている議論であるが(10)、商人資本において剰余価値をえるためには、複数の共同体を横断することが必要となる。

(10)『定本柄谷行人集3 トランスクリティーク岩波書店、等を参照。

柄谷行人によれば、東西による「冷戦」が終結することによって消滅したのは、共産主義陣営だけではない。

おなじく、柄谷行人にあって他のニューアカ文化人になかったのは、この「青」さだったと思われる。柄谷らが展開した「湾岸戦争反対署名」は「青」のムーヴメントの一環として、八〇年代の文化的コンテクストの延長に位置づけられるはずである。

たとえば、作品に登場する数々の「猫」たちは「神」の領域まで引きあげられているし、「大塚英志」や「田中和生」、あるいは「柄谷行人」といった論敵は、神話やロマンスに登場する怪物といった存在にまで引きあげられている。

 日本の文芸評論において、構築主義的な手法を本格的に導入したのは、『日本近代文学の起源』を書いた柄谷行人である。

そもそも地球の気温は本当に上昇しているのか。長いスパンでみると、むしろ下降しているのではないか。