柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

フェン・チャー「デモクラシーの時ならぬ秘密」

フェン・チャー「デモクラシーの時ならぬ秘密」
デリダ 政治的なものの時代へ』(岩波書店

理論的知識の探究においては、ある原理を確証したり証明したりする対象が見つかる場合、私たちはその原理を構成的に使用するし、またそうした直観における直接的提示による満足が不可能な場合は、その原理を単に統制的に使用する。

それゆえに魂や宇宙や神といった理念、あるいは歴史における普遍的進歩、目的論的システムとしての自然といった理念は、その実在が経験を通して決して証明されえない以上、理論的知識の私たちの探究において構成的に使用されてはならない。しかしこれらの理念は、いくつかの目標へと私たちの理性的な理解を最大限に拡張するための、虚焦点〔focus imaginarius〕として、統制的に使用することができるのである。たとえば私たちは、自然がもろもろの目的からなる一個のシステムであるという客観的な知識をもつことはできないが、自然の合目的性という理念の統制的使用は、私たちに有機体の諸形態の機能についての理解を可能にしてくれる。さらに言えば、永遠平和をもたらす世界連邦や完全なる機構といった理念は、歴史的行為者としての私たちの行動を導くための原型(Urbild)あるいは企図された目標として、実践理性によって使用されることができる。

その実践的使用について言えば、統制的理念は現実化しえず、もっぱら私たちの理性的な努力によって漸近的に接近されるしかないものであって、まさにそれゆえに、それは無限に延期される一個の理念的地平の輪郭を描くのである。したがって「統制的理念」は三つの特徴をもつ。第一に、統制的理念は私たちの有限な理性と無限存在者の理念との対立から派生しているのであるから、それが生み出す時間は目的論的である。

統制的理念は、潜在的に現前している能力を人類が発展させうるような理念的地平を開く。