柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

舟大工・イエス

田川建三は、イエスは舟大工でもあったかもしれないと書いていて
ますます吉本隆明と共通するのではないか、と思ったら
吉本への言及があり、その記述が吉本に近い感じがした。

吉本隆明はイエスが自分の家と同様、大工であった事を
意識していたのではないだろうか。
また、吉本の柳田国男の南島論への関心と船大工との関係は。
柄谷行人は最近、出アフリカからデモに至るまで歩く事に注目しているが
水上での移動に言及がない。


田川建三『イエスという男』(作品社)

 漁業のさかんな湖北の町カぺナウムに定住したことから言っても、舟大工もかねていたかもしれない。

 イエスユダヤ教批判は根底的に行われたが故に、社会支配の構造の痛いところにまでつきささったのだ。だから彼は殺された。


吉本隆明「マチウ書試論」

 もしここに、寛容を読みとろうとするならば、原始キリスト教について何も理解していないのとおなじだ。これは寛容ではなく、底意地の悪い忍従の表情である。