柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

預言と予言

田川建三『イエスという男』(作品社)

 その直後に渡独し、ゲッチンゲン大学の教員をして食いつなぎながら、第二回(本書第二章、『歴史と人物』一九七二年十月号)、第三回(本章第三章及び第四章一―三、『情況』一九七四年三月号)を公表した。第三回以降の原稿が『歴史と人物』誌に掲載されなかった理由については、『情況』誌に詳しく公表したので、ここではくり返さない。

そう感じるには、一つには、一九七〇年四月に国際基督教大学を不当解雇されて以来、自分の生活が転変きわまりなく、あっという間に時がすぎてしまったこともあろう。


田川建三『書物としての新訳聖書』(勁草書房

 なお、ユダヤ教キリスト教の世界で「預言」というと、別に、未来の出来事を予言する、という意味ではなく、神(ないし神から送られた霊)によって直接その人に与えられた言葉を語る、という意味である。それで、日本語の訳語としては、神によってその人に預けられた言葉、という意味で、「預言」と書くことになっている。従ってこれは、時には、非常に内省的で知的な発言である。けれども、特に初期キリスト教などでは、何しろ神の霊が自分を通して語っていると思い込んでいるので、しばしばわけのわからない熱狂的な発言にもなる。パウロがこれと距離を置きたがる理由である。なお、「預言」の内容も、時には、未来のことをあらかじめ告げ知らせるという趣旨にもなる。そういう場合、日本語ではやはり「予言」と書く方がわかり易いので、本書ではその二つの表記を使い分けることにする。ただし西洋語では同一の単語(propheteia 等)である。


田川建三 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B7%9D%E5%BB%BA%E4%B8%89
東京大学宗教学宗教史学科を経て、同大学院西洋古典学科で学び、博士課程3年目の夏にストラスブール大学に留学。1965年より1970年に国際基督教大学で助手および講師として勤め、1970年4月に「造反教官」として追放される。