柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

被造物の嘆きと望み

富岡幸一郎カール・バルト『ローマ書講解』を読む 悦ばしき神学』(五月書房)を
読んでいて「2001年宇宙の旅」を思い出した。
被造物、石=モノリスは神の子=スターチャイルドを待っている。
スターチャイルドはキリストのように処女懐妊であるという指摘は
以前からあった。


「ローマ書」八章一八節から二三節(新共同訳)

 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しさを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、”霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体に贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。


「ローマ信徒への手紙」第一八節(ルター訳)

なぜならば、現在の時の苦しみは、やがてわたしたちに現されるはずの栄光に比べれば、何ほどのことでもないとわたしは思うからです。なぜならば、被造物は、神の子たちが現れるのを、不安に満ちて待ちこがれているからです。


「ローマ信徒への手紙」第一八節(エルンスト・ガウクラー訳)

被造物の憧れに満ちた待望(アポカラドキア)。


「ローマ信徒への手紙」第一八節(エルンスト・ケーゼマン訳)

被造物は、憧れに満ちた待望のこころが覗き見ている……

被造物の、憧れに満ちた待望のこころが覗き見している。神の子たちが現れることがうまくいくことを。


エゼキエル書」第一一章一九節、第三六章二九節

預言者の約束が成就し、神が、その民から、石のこころを取り去り、肉のこころを植え付けてくださることを待っているのです。


「コロサイの信徒への手紙」第三章一―四節

石でさえも、人間が人間であることを待っています。私どもが生きている宇宙は、まことの教会が現われることを憧れる宇宙なのです。なぜならば、まことの教会において、初めて人類は目的に達するからであります。