柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

仮象と観念

ナウマン任那や白村江の戦について書いているようだ。
以前、任那日本府ブルターニュ、日本=ブリテンかと考えた。


ネリー・ナウマン神道民族宗教」『世界宗教史8』(エリアーデ原案、ちくま学芸文庫

 ちょうどこの時代、日本の中心であったヤマトには、すでに、以前にその西や南にあった小国家を併合した強力な中心的国家が存在していた。まだ、本州の北の部分はこのヤマト王権の勢力圏外にあったが、朝鮮の南端は、長らくその所領となっており、この王権はここから朝鮮の政治情勢に影響をおよぼそうとしていた。しかし、五六二年にヤマト王権はこの領域を失い、そして約百年ののちに、まだ盟約の結ばれていた地域に配備されていた軍団が敗北し、これによって、ヤマト朝廷は、大陸の政治から最終的に閉め出されることになった。


任那(みまな、にんな、369年(〜400年) - 562年)は古代に存在した朝鮮半島南部の地域。
第二次世界大戦後、次第に政治的な理由により任那問題を避けることが多くなっていたが、倭が新羅百済を臣民とした等と書かれている、広開土王碑日本軍改竄説が否定され、史料価値が明確になったこと、またいくつもの日本固有の前方後円墳朝鮮半島南部で発見され始めたことなどから、近年ヤマト朝廷そのもの或いは深い関連を持つ集団による統治機関や、軍事的影響力および経済的利権の存在について認める様々な見解が発表されている。
西暦562年、任那日本府新羅によって滅ばされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3

任那日本府とは、日本書紀の雄略紀や欽明紀などに見える、古代朝鮮半島南部の伽耶の一部を含む任那にあった倭国の出先統治機関。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BA%9C



フォイエルバッハキリスト教の本質』

私は宗教自身に語らせる。

宗教は人間と動物との根本的相違に基づく。

(宗教は)人間の最初の、そして非直接的な自己意識なのである。

宗教とは人間の秘められた宝の厳かなる露呈であり、人間のもっとも内なる思念の表白であり、その愛の秘密の公然たる告白である。


マルクスヘーゲル法哲学批判序論』(マルクス・エンゲルス全集第一巻)

宗教とは、ある者においては現実の悲惨の表現であるとともに、ある者においては現実の悲惨に対する抗議行動にほかならない。


ポール・ド・マン「批評と危機」『盲目と洞察』(月曜社

そして、仮象(記号)と観念(意味)との統一は――ScheinとIdeeと言えば、実際、ロマン主義の理論家のうちに見いだされる用語だ――「美しい魂」というくり返し出てくるトポスのうちに具体化されたロマン主義的神話だと言われるのである。