柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

アイスランドと北アメリカ

以下も講演で話していて
移民後に書かれた文学として
 アメリカにおける独立宣言
 日本における記紀万葉
と考えられるかと思った。


柄谷行人『哲学の起源』(岩波書店

 その点から見て、イオニアのポリスを考えるのに参照例が二つある。一つは、一〇世紀から一三世紀のアイスランドである。

 その証拠に、彼らは、彼ら自身が北欧から来たにもかかわらず、北欧の神話や武勲叙事詩の伝統とは異質な、ある意味でモダンな文字、すなわち、アイスランド・サガを生み出したのである。それは口承ではなく、書かれたものである。

 イオニアのイソノミアに類似するもう一つの例は、一八世紀アメリカのタウンシップに見出される。


シェイクスピアマクベス

 Fair is foul, and foul is fair.(正しいが不正で、不正が正しい)


ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』(平山高次訳、岩波文庫

 もしその間隔と、一つ一つ通過せねばならぬだろう無数の点のことしか考えないならば、ゼノン(Zenon)の矢のように、出発することに何らの興味も、何らの魅力も感じないだろう。

 どんなに原始的な社会においても、物々交換(echanges)は行なわれる。

 我々はポリネシアの「マナ」(mana)に関していろいろ聞くが、それと類似のものは、他の所にも種々な名前で見いだされる――すなわち、シィウー族(Sioux)の「ワカンダ」(wakanda)、イロクォイ族(Iroquois)の「オレンダ」(orenda)、マレー人の「パンタング」(pantang)等々。