柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

閉じた社会、開いた社会

ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』(岩波文庫

 実際、我々の文明社会もまた閉じた社会(societes closes)である。

それは全人類という開いた社会(societe ouverte)のことであったか。


柄谷行人×松本哉「生活と一体化したデモは手強い」
脱原発とデモ』(筑摩書房

柄谷 僕も90年代まではいわゆる「現代思想」をやっていて、やたらに難しいことを書いていましたけど、90年代半ばを過ぎたら、それがどうしようもなくいやになってきた。もっと実践的に活動したいと考えるようになった。それで、1999年くらいからNAM(New Associationist Movement)という運動を始めようとしたのです。