柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

錦糸町OLINAS、井川遙プロデュースのTシャツは終了

sasaki_makoto2006-05-11

ジジェク『厄介なる主体1』(青土社

 そのような見せかけのなかでは、われわれは時折ありえない〈十全〉な状態を可能とする約束
 が実際に実現するという幻想−デリダをわかりやすく言いかえれば、民主主義とは、もはやた
 だ来たるべきものではなく、実際に到達してしまっているものであるという幻想−に屈してし
 まう。


「デモクラシー」は「デモクラシズム」ではないのに
日本語で「民主主義」と訳されていると以前書いたが、
ここでも「民主政治」の方が明確ではないかと思う。


カール・G・ユングの「無意識の接近」
『人間と象徴』(河合隼雄監訳、河出書房新社)の
ローマ帝国キリスト教の受容に関する記述を読んでいて、
6世紀の日本の仏教の受容(蘇我・物部の争い)に
対応するのではないかと思った。


バナールは『黒いアテナ』で
エジプト/ギリシャは中国/日本に
対応すると述べていた。