柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

今、目の前にあるマルクス

sasaki_makoto2007-12-01

2000年頃、NAM全国大会にて。

僕「「マルクスその可能性の中心」といってもヴァレリーばかりという感じでした」
飛騨五郎さん「ヴァレリーの中にマルクスを見い出したということじゃないかな」


「無断掲載」事件以後、僕は柄谷行人氏のイベントで
それまでのように最前列に座らないようにしました。
早稲田大学での「市民通貨L」の講義では一番後ろに。



今日、吉祥寺の丸山眞男邸を訪れ、
近くの武蔵野美術大学の前を歩きながら
村上龍ユーミンが通学したのかなと。


古本屋で。

現代詩手帖」1972年8月臨時増刊 630円 磯田光一入江隆則柄谷行人「座談会・批評における戦後」
「群像」1979年11月号 1050円 柄谷行人「根底の不在」
現代思想1984年9月号 300円 柄谷行人「言語・貨幣・国家 形式化の諸問題」
「文藝」1986年春季号 420円 柄谷行人「注釈学的世界――江戸思想序説」
海燕」1989年7月号 1050円 柄谷行人「漠たる哀愁」

を購入。「批評空間」第II期が1冊420円でした。



新宿・風花にて古井由吉柄谷行人氏による朗読会。


席が最前列…。


水割りを頼みましたが、フォア・ローゼスらしい。



「群像」や「文学界」の編集者、
大西巨人高橋源一郎中森明夫氏らが来ていた模様。

「その時に、龍さんが出たんですよね」というような編集者たちの話。


朗読が始まる前の話を聞きながら、

現在の日本の「文壇」というのは、

平安時代に、藤原定家という著名な歌人の作に類似した歌が
同時代や後世の歌人によって多く詠まれた状況と
変わっていないのではないか、と思った。


子犬(柄谷行人氏本人による)、劣化コピー笙野頼子)、
柄谷チルドレン(2ちゃんねる)といった言葉を思い出す。



古井氏、柄谷氏の順に朗読が行われました。


朗読されたのは、古井氏は今度出す短編集の中から一編、

柄谷氏は『マルクスその可能性の中心』(講談社学術文庫)の中から「武田泰淳論」。


後者の朗読について。

最近、柄谷氏本人が知らないうちに、中国政府系で
中国語版『馬克思、其可能性的中心』が出版されたが、
その中の「武田泰淳論」も含め、よく出したなと思ったそうです。

柄谷氏が持ってきた赤い表紙の本は
最初、批評空間の合本かと思いましたが
それはその中国語版でした。

朗読が終った後、柄谷氏は「これ、回覧して」と
中国語版を僕の前に置きました…。


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