柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

この綾波レイは宇多田ヒカルっぽい

sasaki_makoto2008-11-19

「ヨブの書」六の二七

 あなたがたはついには、孤児をくじで選んだり
 自分たちの友人を軽く見たりするようになるだろう。


バトラー、スピヴァク『国家を歌うのは誰か?』(岩波書店

 スピヴァク ハンナ・アーレントは無国籍を、国民国家の限界を示す徴候と捉えました。このタイプの解釈はマルクスの『ルイ・ボナパルトブリュメール十八日』に連なるもので、そこで彼は、ブルジョア革命は行政執行部のさらなる権力強化の下地を作ると解釈しています。


柄谷行人 有度サロン 2008年11月16日

 カントへの回帰ではない。カントが回帰しているのです。
 カントは「すべては現象である」と言っていた。
 現在、「すべては言葉である」と言うのと同じですよ。