柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

交換価値か交換様式か

資本論』の冒頭は、商品と価値のトートロジーとも思える議論が続く。
経済学というより言語学、哲学的である。

以下はエンゲルスの追加だが、交換という言葉によって論旨は明確になるが
議論が凡庸になっているかもしれない。
エンゲルスは人類学の研究もしていたから、交換を
マルクスより人類学的に考えていたのではないか。


マルクス資本論』(岡崎次郎訳、大月書店)

第一節 商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体 価値量)

商品になるためには、生産物は、それが使用価値として役だつ他人の手に交換によって移されなければならない一一a。


第二節 商品に表わされる労働の二重性

 最初から商品はわれわれにたいして二面的なものとして、使用価値および交換価値として、現われた。

この点は、経済学の理解にとって決定的な跳躍点であるから、ここでもっと詳しく説明しておかなければならない。

   一六 「ある男は、この欲望対象の生産に一週間を費やした。……そして、それと交換して彼に他の一対象を与える男は、なにが実際に等価であるかを算定するには、自分にとってなにが同量の労働と時間とを費やさせるかを計算する以上に正確に算定することはできない。このことが事実上意味することは、ある人が一定の時間に一つの対象に費やした労働と、他の人が同じ時間に他の一対象に費やした労働との交換である。」(『金利一般および特に公債利子に関する諸考察』、三九ページ。)

第三節 価値形態または交換価値

われわれも、じっさい、諸商品の交換価値または交換関係から出発して、そこに隠されている価値を追跡したのである。

A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態

一 価値表現の両極 相対的価値形態と等価形態

二 相対的価値形態

a 相対的価値形態の内実

リンネルが自分の「等価物」または自分と「交換されうるもの」としての上着にたいしてもつ関係によって、である。

なぜならば、ただこのような価値物としてのみ、上着はリンネルと同じだからである。

なぜならば、ただ価値としてのみリンネルは等価物または自分と交換されうるものとしての上着に関係することができるからである。

   一七a フランクリンは、すべての物の価値を「労働で」評価することによって彼は交換される諸労働の相違を捨象し――したがってそれらの労働を同等な人間労働に還元しているのだということを意識してはいない。

b 相対的価値形態の量的規定性

   二〇 「Aと交換されるBが騰貴するために、その間にAに支出される労働は減少しないにもかかわらず、Aが低落するということをひとたび認めるならば、きみたちの一般的価値原理は崩壊する。

なぜならば、もしAの費用におけるある変動が、Aと交換されるBにたいする関係においてAそのものの価値を変動させるだけでなく、Bの生産に必要な労働量にはなんの変動も生じていないのにBの価値をもAの価値にたいして相対的に変動させるとすれば、その場合には、一物品に支出された労働量がその物品の価値を規制すると断定する学説が崩壊するだけではなく、一物品の生産費がその物品の価値を規制するという学説もまた崩壊するからである。」(J・ブロードハースト『経済学論』、ロンドン、一八四二年、一一、一四ページ。)

三 等価形態

だから、リンネルは実際にそれ自身の価値存在を、上着が直接にリンネルと交換されうるものだということによって、表現するのである。したがって、一商品の等価形態は、その商品の他の商品との直接的交換可能性の形態である。
 ある一つの商品種類、たとえば上着が、別の一商品種類、たとえばリンネルのために、等価物として役だち、したがってリンネルと直接に交換されうる形態にあるという独特な属性を受け取るとしても、それによっては、上着とリンネルとが交換されうる割合はけっして与えられてはいない。

しかし、ある物の諸属性は、その物の他の諸物にたいする関係から生ずるのではなく、むしろこのような関係のなかではただ実証されるだけなのだから、上着もまた、その等価形態を、直接的交換可能性というその属性を、重さがあるとか保温に役だつとかいう属性と同様に、生まれながらにもっているように見える。

彼は言う、「交換は同等性なしにはありえないが、同等性はまた通約可能性なしにはありえない」と。

四 単純な価値形態の全体

 ある一つの商品の単純な価値形態は、異種の一商品にたいするその商品の価値関係のうちに、すなわち異種の一商品との交換関係のうちに、含まれている。商品Aの価値は、質的には、商品Aとの商品Bの直接的交換可能性によって表現される。商品Aの価値は、量的には、商品Aの与えられた量との商品Bの一定量の交換可能性によって表現される。言いかえれば、一商品の価値は、それが「交換価値」として表示されることによって独立に表現されている。この章のはじめに、普通の言い方で、商品は使用価値であるとともに交換価値である、と言ったが、これは厳密が商品の現物形態とは違った独特な現象形態、すなわち交換価値という現象形態をもつとき、そのあるがままのこのような二重物として現われるのであって、商品は、孤立的に考察されたのでは、この交換価値という形態をけっしてもたないのであり、つねにただ第二の異種の一商品にたいする価値関係または交換関係のなかでのみこの形態をもつのである。


マルクスは個別の労働・商品・時間・交換によって価値を説明し
柄谷行人は共同体間で行われる交換のパターンを説明する。


『大激論! 都条例改正案に賛成? 反対?』
【日時】3月27日(土)19時00分〜 津田大介東浩紀藤本由香里白田秀彰、おがわさとし、田中秀臣 
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