『クォンタム・ファミリーズ』読みました
性描写が言わば、大友克洋+筒井康隆だ。
葦船(葦原将軍、虚航船団)。
でも読み終わると結局、筒井康隆『文学部唯野教授』と同じく
柄谷行人コンプレックスかと思った。
(古くは浅田彰『構造と力』、栗本慎一郎『鉄の処女』と同様)
文学を辞める/批評を辞める
世界の未来を語る/世界の未来を語らない
柄谷行人を知った者ほど人生が狂う。
東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)
いま世界の未来について語るやつは、自分探しくんか単なるバカかどっちかだ。
エティエンヌ・バリバール『市民権の哲学 民主主義における文化と政治』(松葉祥一訳、青土社)
それと同時に市民は、立法や「一般意志」の諸条件をつくり出す。
しかし、このことから、しばしば耳にするように、それは国家という形態の「終わりの始まり」であり、われわれは国家という形態が消滅するポスト国家的社会に向かう歴史的移行期にいるのだという結論を引き出すのは、軽率であろう。