柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

アマゾンに『世界史の構造』のレビューを書いたのだが

ユルゲン・ハーバーマス『討議倫理』(清水多吉・朝倉輝一訳、法政大学出版局

 さて、ロールズ、ドゥオーキン、アーぺル、それに私のような普遍主義的アプローチは、近年、マッキンタイア、B・ウィリアムズ、Ch・テイラー、M・サンデル、またD・ウィッギンズといった哲学者たちから厳しい批判にさらされている。


ルネ・ジラール『ミメーシスの文学と人類学 ふたつの立場に縛られて』
(浅野敏夫訳、法政大学出版局

というのも、ドストエフスキーは、父親殺しを主題とする小説を書き、知られるように自分の父親を憎んだ作家であったからだ。

 『カラマーゾフの兄弟』のような作品に向かいあった場合、精神分析は無力である。

残るのは報復の応酬だけであって、ルソー流の一般意志などで、ある社会全体に通用する安定した差異の体系を作りだすことができないのは火をみるより明らかである。一般意志のようなものが存在している場合、それは既存の体系に従属しているだろう。