柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

イスラム教は倫理的救済宗教か

マックス・ウェーバー「経済と社会」第二部第五章七節―十二節
『宗教・社会論集』(英明訳、河出書房新社

しかし、四〇日のあいだ肉を食べなかった男の人格を疑っている・この予言者の言葉や、あるいはまた、古回教において柱として重んじられていた――そして一部の回教徒からは救世主(マフディー)として崇められた――一人物が、「あなたはなぜお父さんのアリーと違って、頭髪に香油を塗るのですか」という問いに対して、「女どもにもてるようにさ」と答えたこと、――これらは、倫理的「救済宗教」の聖徒列伝においておそらく類例のないものであろう。ここにも明瞭に示されるごとく、回教が倫理的救済宗教であるとはとうていいえない。