柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

正確という病

sasaki_makoto2010-10-15

ヴァレリー『テスト氏』(小林秀雄訳)

 僕は正確という烈しい病に悩んでいた。理解したいという狂気じみた欲望の極限を目がけていた。


ヘーゲル『論理学』第II巻「目的論」

 けれども目的がじぶんを客観との間接的な関係に置き、じぶんと客観とのあいだに他の客観を挿入することは理性の狡知(List der Vernunft)とみなされうる。


漱石を語る2』(翰林書房

 柄谷行人 僕も以前に書いたのですが、ブランケンブルグは分裂病を「生きられた現象学的還元」だと言ったことがあるけれど、漱石の場合、いわば「生きられたヒューム的懐疑」ですね。それが『坑夫』ですね。

 大岡信 ですから僕の興味のあるのは、どちらかといったら修善寺で吐血した明治四十三年八月以後の小説です。

 大岡信 それから自然主義の小説家たちはまた別の意味で、いい基本的な文章を書いている人もいますけれども、漱石のものは知的なてらい、気取りも含めて、ある程度の知的な市民階級の使える言葉で書いているということもあるんですね。それで朝日新聞の読者に非常に受けたんだと思うんです。

 島田雅彦 まず、他人事のように書いているという点ですが、柄谷さんが写生文の精神について、フロイトの言ったユーモアとの関連を指摘されています。

 石原千秋 だからそれを文章の型が支えているところがある、柄谷さんも言っているように。

  


僕の曽祖父・遠藤佐市が修善寺から北海道・厚岸に渡り
佐々木姓となったのは明治33年(1900年)頃だと思う。
佐市の修善寺の家業は造り酒屋だったという。



遠藤酒店 0558-72-0652 〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺287-3横瀬


夏目漱石
1907年6月〜10月 「虞美人草」 朝日新聞
1908年1月〜4月 「坑夫」 朝日新聞
   6月 「文鳥」 朝日新聞
   7月〜8月 「夢十夜」 朝日新聞
   9月〜12月 「三四郎」 朝日新聞
1914年4月〜8月 「こゝろ」 朝日新聞
1915年6月〜9月  「道草」 朝日新聞
1916年5月〜12月  「明暗」 朝日新聞

長谷川町子サザエさん
1949年12月〜1950年12月 夕刊朝日新聞
1951年4月〜1960年4月 朝日新聞(朝刊)
1961年10月〜1974年2月 朝日新聞(朝刊)


東大理IIIに進んだ親戚は
栗原裕基さんというこの方かと思う。
今は東大にいるようだ。
http://kaken.nii.ac.jp/en/r/20221947