柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

レイボヴィッチ『ユダヤ女 ハンナ・アーレント』(法政大学出版局)

マルティーヌ・レイボヴィッチ『ユダヤ女 ハンナ・アーレント 経験・政治・歴史』
合田正人訳、法政大学出版局

このように、政治的行為への接近は、ユダヤ人にとって自分たちの伝統や、それを基礎づける正義への要請の放棄を意味してはいない。しかし、政治においては、正義だけでは十分でなく、つねに自由と噛み合わねばならない。ところで、アーレントはつねにこう主張したのだが、自由とはギリシアに由来する概念で、政治的平等あるいは法的平等・対等制(イソノミア)の概念と不可分である。

 イソノミアは万人が法の前で平等であることを意味するのでも、法が万人にとって同じものであることを意味するのでもなく、それは単に万人が政治活動への同じ要請を有していることを意味している。政治活動はポリスにおいて、何よりも互いが‐互いに‐語ることにおいて成立するのだから(31)。

イソノミアは「イシュゴリア」(発言の平等)である。

31.H.アーレント『哲学とは何か』p.82.