柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

福嶋亮大『神話が考える』(青土社)

水村美苗日本語が亡びるとき』(筑摩書房

 『解体新書』は日本で初めて西洋語を訳した書物として知られているが、日本語に訳されたのではなく、漢文に訳されたのである。

 世慣れぬ青年が、熊本から上京して大学へ行き、田舎では見たこともない都会人と交わり、女に淡い恋をし、振られ、おろおろするうちにいつしか少しは成長するという、一種の教養小説である。

 前の晩、断る勇気がなかったがために、名古屋で汽車を一緒に降りた女とずるずると同じ宿に泊まり、わけがわからぬうちに、なんと女と同じ蒲団で寝ることに相成ってしまった三四郎である。

 今、三四郎は、名古屋からの汽車で我が身に降りかかった災難の「御浚」をしているところである。

 三四郎が広田先生に初めて会うのは、『三四郎』の出だし、名古屋から上京する汽車で偶然同車した場面である。


夏目漱石三四郎』の青年が熊本から上京したという事から
神武天皇を思い出した。

6日、名古屋で水村美苗日本語が亡びるとき』を読んでいて
上記のように『三四郎』に名古屋の場面があると知る。

平田信が奈良・橿原から大阪に来たと知り
10日に神武天皇陵に行こうかと考えたがやめた
(去年1月に行きたかった仁徳・応神天皇陵は
今回それほどでもなく)。


神武天皇陵も伊勢神宮と同様に最寄りの駅は近鉄だ。東大駒場も京王で何故私鉄なのだろう。学習院は戦前官立だったという。神武天皇陵 - Google マップ http://bit.ly/w4sH8r @addthisさんから


福嶋亮大『神話が考える』(青土社

 たとえば、柄谷行人による批判は辛辣である。

  大江〔健三郎〕がいわば「意味」の崩壊にさいなまれ、それをアレゴリー的に再建しようとしているのに対して、村上(春樹)は平然としている。彼はここ〔『ノルウェイの森』のこと〕ではイロニーの外見さえ捨てた。ロマンティック・アイロニーからアイロニーが抜ければ、ロマンティックが残る。つまり、彼はたんにロマンス(愛と死をみつめて)を書いたのである*29。

 ここで柄谷が「意味」と言っているものを、本書では「神話」とか「意味論的デザイン」という言葉で呼んでいる。つまり柄谷は、大江健三郎が「大きな物語」がない世界で、客観性を備えた神話を懸命に再建しようとしているのに対して、村上春樹はたんに陳腐で大衆受けするラブロマンスを書いたにすぎない、と言っているのだ。
 しかし、柄谷の主張に反して、村上春樹については、グローバル資本主義下において、まさに「アレゴリー的」に神話を再建しようとしていた作家だと捉えるのが、むしろ妥当であるように思われる。

 柄谷行人が、先の村上春樹論の収められた著書で言ったように、今日の文化は「世界や自己を認識する」(コジェーヴ)ような思弁を、ほとんどその任務とはしていない*42。

*29 柄谷行人『終焉をめぐって』(講談社学術文庫、一九九五年)一三五頁。

*42 柄谷前掲書、一七四頁。

*08 特に、柄谷行人『隠喩としての建築』(講談社学術文庫、一九八九年)を参照。ただ、本章の議論の道筋は柄谷と逆になっている。というのも『隠喩としての建築』の柄谷は、ツリーよりもセミ・ラティスを評価しつつ、しかしセミ・ラティスにも限界があると見なしてリゾーム的生成論を持ってきたのだが、私はむしろ、十分にリゾーム化したシステムを再デザイン化するための原理として、セミ・ラティスや神話を再評価しているからだ。