柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

超越的と超越論的

イマヌエル・カント「純粋理性の理念の統制的使用について」
純粋理性批判』(篠田英雄訳、岩波書店

[超越論的理念には]優れた、実際欠かすことのできない統制作用がある。それは悟性を、その規則によって定められたいくつかの道のりが交わるところにある特定の目標点に向かわせる。この目標点が理念という虚焦点[光がそこから来るかのように見える鏡面の想像的焦点]である。この点は可能な経験の外側にあるため、悟性概念はそこから先へは進めない。にもかかわらず、この点はこれらの概念に、考えられうる最大限の統一、最大限の広がりを与える。だからこそ、「これらの概念は、経験的に可能な知識の領域の外側にある現実の客体=対象に、その源、いわば光源をもつ」、という仮象が生まれるのである――ちょうど鏡に映った客体=対象が、鏡の向こう側にあるように見えるように、しかしながら、この仮象は欠くべからざるものだ――もし我々が、我々の目の前にあるもののみならず、我々のはるか後ろにあるものをも同時に見ようとするのであれば。


イマヌエル・カント「人倫の形而上学の基礎づけ」『カント全集7』(平田俊博訳、岩波書店

君の行動原理が、君の意志を通して普遍的な自然の法となるべきであるかのように、行為しなさい。


ジュパンチッチ『リアルの倫理』(河出書房新社

統制理念に関して、我々は、これが悟性の視点を理性の視点に結合するものであることを強調した。


細見和之「訳注」
テオドール・W・アドルノ『哲学のアクチュアリティ 初期論集』(みすず書房

「超越的(transzendent)」と「超越論的(transzendental)」はカント哲学の用語。前者は主観の外部にあるものを指し、後者は主観の構造を反省的に捉え返す態度を指す。


アウグスティヌス神の国(3)」『アウグスティヌス著作集12』(泉治典訳、教文館

すべての被造物(creatura)が至福であり得るのではない。……現実に至福であるものは、自己自身によってではなく――被造物は無から造られたのであるから――、創造者(Creatorem、Creator、Schopfer)によって至福となり得るのである。


アリストテレス「気象論」「宇宙論」『アリストテレス全集・第五巻』(泉治典訳、岩波書店

しかもそのようなもの(つまり、始まり)は、永遠的であって場所的に運動が終わることはなく、むしろつねに完全な状態にある。だがそれ以外のすべての物体(四元素)は、それぞれ限界づけられた場所に分かれて存在している。