柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

渋谷・東横のれん街

sasaki_makoto2012-02-25

渋谷パルコで購入。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学朝日出版社

紀伊國屋サザンシアター東浩紀津田大介


村井紀『反折口信夫論』(作品社)

 前掲の文章の中で柄谷氏は柳田の説く「固有信仰」や「自然村」とは、実はそうではなく、「歴史的に郷村制として形成」されてきたものであり、柳田はそれを疑わなかったために「認識論的に”閉ざされて”」しまい、それが逆に「国家および占領軍」への「批判」を「可能」にしたのだと言っているが、実をいえば柳田はその「民族学」の最初から構造的に「国家レベル」から”逃げて”おり、あるいは”脱落”していたのである。柄谷氏が山口昌男の古代律令制についての分析(「反遠近法」)を援用しながらいうように、その「民俗学自身が本質的に貴種流離」(『日本近代文学の起源』)であり、「王権」の「秩序の確立」と共に作り出された「反秩序=混沌を〈なつきなつかせる〉装置」(山口昌男)であったからである。

そして、柳田はその「神学」(村の信仰であり祖霊信仰)に固執したが上に、皮肉にもGHQによって「でたらめな(検閲)削除」(柄谷氏)を招いてもいたのである。

”中国系沖縄人”魚培元こと伊波普猷については別に論じたが、この伊波は「日琉同祖」論、つまり柳田・折口に日本の「南島」としての「琉球/沖縄」モデルを提示した人物である(「起源と征服――伊波普猷について」、『批評空間』I―11・12、II―1)。

 なぜなら『すばる』(一九九〇年六月号)の柄谷行人との対談で、岩井克人が言っているように「土地調査事業」に始まる日本の統治は、朝鮮の日本の食糧基地としての性格を強め、わけても米騒動(大正七年)以降は強制的に「準内地米」を作らされていた。


アドルノ社会学と経験的研究」
ホルクハイマー、アドルノ『ゾチオロギカ』(平凡社

しかし、この傾向に対して、単に、一般意志(volonte generale)を即自的真理として、例えば要請された「価値」の形で主張する見解を、独断(ドグマ)的に対置してはなるまい。

ロベスピエール以来、一般意志を命令的に確定することは、万人の意志を概念なしに想定することよりも、史上おそらくはるかに多くの不幸を引きおこしてきた。