柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

折口信夫「砂けぶり」

折口信夫「砂けぶり」

大正十三年、初出
 井戸のなかへ
 毒を入れてまはる朝鮮人―。
 われわれを叱つて下さる
 神々のつかはしめ だらう

 おん身らは 誰をころしたと思ふ。
  陛下の御名において―。
   おそろしい呪文だ。
    陛下万歳 ばんざあい

昭和十二年
 井戸のなかへ
 毒を入れてまはる半島人―。
 われわれを叱つて下さる
 神々のつかはしめ だらう

 おん身らは 誰をころしたと思ふ。
  かの尊い 御名において―。
   おそろしい呪文だ。
    万歳 ばんざあい
現行
 井戸のなかへ
 毒を入れてまはると言ふ人々―。
 われわれを叱つて下さる
 神々のつかはしめ だらう

 おん身らは 誰をころしたと思ふ。
  かの尊い 御名において―。
   おそろしい呪文だ。
    万歳 ばんざあい


村井紀『反折口信夫論』(作品社)

 すでに折口の神道の人類教化構想については神道の側から谷省吾、千葉尊宣らの伝統に反する邪道だという批判があるほか、谷川健一によって、「神道をより宗教化し、祭政一致の偽膜をかぶった政治をより純粋に政治化し、日本民俗学日本民族という局地性から解放」するものだという評価があり(「折口信夫再考」『常民への照射』)、さらに、内野吾郎はGHQの「神道令」後、国学院内部で「在来の倫理神道と別れて宗教神道」を希求する折口の営為を「高く評価」できるとし(「戦後折口信夫神道宗教観」『新国学論の展開』)、柄谷行人も、戦後柳田がGHQから受けた「検閲」にふれながら、折口のほうに「”積極的”なプラン」を見ている(「検閲と近代・日本・文学」『隠喩としての建築』)。