柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

アーキテクチャとコンストラクション

桑野隆『バフチン カーニヴァル・対話・笑い』(平凡社新書

 これにたいして、この時期のバフチンはarkhitektonika(アルヒテクトニカ)(英語ではarchitectonic[s])を重視している。ギリシア語で「建築術、建築物」を意味するarchitektonikeに由来する言葉で、カント(一七二四―一八〇四)の『純粋理性批判』(一七八一)では「純粋理性の建築術」(岩波文庫)といったように、そのまま「建築術」と訳されている。
 カントによれば、「建築術とは、〔学的〕体系を構成する技術のこと」であり、「体系全体が有機的に構成されている(articulatio)のであって、偶然的に集積されている(coacervatio)のではない」。


2004年11月22日02:47

ハイデガー存在と時間』 序論 存在の意味への問いの提示
 存在問題そのもののためにそれ自身の歴史に透明な見通しをつけることがわれわれの課題なのであるから、固定化した伝統を解きほごして、その伝統が生みだしてきた蔽塞状態を解消することが必要となる。この課題をわれわれは、存在問題を手びきとして古代的存在論の伝承的形態を解体し、かつて存在の最初の――そしてそれ以来主導的となった――諸規定がそこで得られた根源的諸経験へひきもどす解体作業(Destruktion)という意味でうけとる。


彼は、われわれは既に事実として有しているおおまかで漠然とした一つの「存在了解」の源泉を辿り、現在に至る哲学的伝統の歴史の「解体」(Destruktion)を企てた(序論第2章第6節)。
存在と時間 http://t.co/4zq8s3PK

マルティン・ハイデガーの『存在と時間』において西洋の形而上学伝統が論じられる際にあらわれる「Destruktion」の仏語訳として採用されたもの。デリダは、直訳の「解体 Destruction」がもつ破壊的で否定的な意味合いを避け、「脱構築 Déconstruction」(dé-「分離、除去」/construction「構築、建設」)を造語した。その意味で、彼の脱構築ハイデガーの試みを継承するものと言える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E6%A7%8B%E7%AF%89