柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

地震と大津波

「別冊太陽 中上健次

中上紀「『鳳仙花』 「路地」に生きた女の肉体と魂の輝き」

 また、主人公の人生の大きな節目に、終戦前後に紀州を軒並み襲った二度の地震と大津波が投入される。

中上紀「豊穣なる「語り」のイニシエーション 『紀州 木の国・根の国物語』」

 天満はまた、戦争前後に紀伊半島を襲った二度の大地震と大津波の被害を最も酷く受けた場所の一つである。

高澤秀次中上健次の軌跡―その生涯と作品」

 さて、一九七〇年に二十四歳になった中上は、『文藝首都』の同人仲間山口かすみと結婚(仲人は柄谷行人夫妻)する。

紀和鏡中上健次という作家の第一幕」

 この頃、柄谷行人という名をしばしば健次の口から聞くようになっていたので、意識上の大きな変化が訪れていたのだと思われる。


昭和東南海地震
1944年(昭和19年)12月7日に午後1時36分から、紀伊半島東部の熊野灘三重県尾鷲市沖約 20 km (北緯33度8分、東経136度6分)を中心とする震源で発生した巨大地震
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%9D%B1%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E9%9C%87#1944.E5.B9.B4.E3.81.AE.E6.9D.B1.E5.8D.97.E6.B5.B7.E5.9C.B0.E9.9C.87.EF.BC.88.E6.98.AD.E5.92.8C.E6.9D.B1.E5.8D.97.E6.B5.B7.E5.9C.B0.E9.9C.87.EF.BC.89

昭和南地震は、1946年(昭和21年)12月21日4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78 km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分、深さ 24 kmを震源としたM8.0の地震である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E9%9C%87


中上健次「作家と肉体」『鳥のように獣のように』

 結婚してから、羽田で働きはじめた。それが、二十三歳だった。


僕も4年前、羽田で仕事しました。