柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

和辻哲郎『人間の学としての倫理学』(岩波文庫)

和辻哲郎『人間の学としての倫理学』(岩波文庫

 アリストテレスはかかる意味のpolitikeを、すなわち「人間の学」を、真実の主要技術(arkhitektonike)として取り扱った。

 なぜならすでに第一批判末尾の「純粋理性のArchitektonik」の章に、言葉も内容もほとんど右の個所と変わらない、同じ主張を見いだすからである。元来カントがここにArchitektonikの語を用いたのは、前節に説いたアリストテレスはそれによって目的的な統一を言い現わし、最高目的の学をarkhitektonikeと呼んだのであるが、今やカントは同じく目的的な統一による体系の術をこの語によって言い現わした。ここでは最高目的は理性本来のであり、従って理性の主要目的から、すなわち理念から生ずる図式がarchitektonischな統一を与える。それに反し経験的に偶然に現われる目的に従って計画せられた図式は、technischは統一をしか与えない。(B861.)従って人の理性の究極目的の学たる世間概念的的哲学はarchitektonischであり、任意の目的による理性の技術としての哲学は単にtechnisch(技術的)であるに過ぎぬ。


ポリティック(政治学)とは元々ポリス(都市)に住む人についての学問という意味だったのか。


ラテン語ギリシャ語architekton (archi-主たる+-tekton大工=大工の棟梁). △TECTONIC]