柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

アンリ・ベルクソン「知的努力」(一九〇二年)

ソシュール研究者の前田英樹ベルクソンを語るようになったが
確かにベルクソンソシュール的な事を述べている。


アンリ・ベルクソン「知的努力」(一九〇二年)
"L'Energie sprituelle" 『精神のエネルギー』(原章二訳、平凡社ライブラリー

 解釈が正確であるためには、意味と音との接合がおこなわれなくてはならないのである。

 もし私たちが実際に語から観念に進むとしたら、解釈ということはそもそも可能だろうか。一つの文章を構成している単語に絶対的な意味はない。おのおのの単語は先行する単語と後続する単語からおのおのの意味の色合いをもらっている。それにまた、一つの文章を構成する単語がすべて独立のイメージや観念を呼び起こせるわけでもない。多くの語は関係をあらわしている。しかもその関係は、その語が全体の中で占める位置と、文中の他の語との結びつきとによってあらわされている。


フェルディナン・ド・ソシュール(1857年 - 1913年)
1881年パリ大学でミシェル・ブレアルの講義を聴講し、才能を認められて同大学の「ゴート語および古代高地ドイツ語」の講師となる。そこで10年間に渡って教鞭をとった後、ジュネーヴに戻る。1906年、ジョセップ・ウェルトハイマーの後を受けて一般言語学について1906年-1907年、1908年-1909年、1910年-1911年の三度にわたって講義を行う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB